column / コラム
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2009.11.26

林 建紀のハーレム五十七士 vol.35

スウィング|コンボ     エディ・ロック:Eddie Locke(ds, vo)当時28歳

 きっかり7カ月年下のソニー・ロリンズ(ts)がいたばかりに、エディ・ロックは集合写真『ハーレム1958』の57人中、最年少の栄誉を逃した。もっとも、本人は「ジョー・ジョーンズのシンバルなんかを持ってついていっただけで、本当は撮られる頭数に入ってなかった」と冗談ぽく語っている。ハードバッパー世代だがモダン派との活動は少なく、ほとんどが中間派ジャズ(戦後のスウィング)でのものだ。1960年代以降、スウィング系ドラマーが第一線を退いていくなか、古くも新しくもない、スウィングとバップの中間を行くスタイルが重宝された。最も輝かしい経歴はコールマン・ホーキンス(ts)のコンボ時代で、最後の絶頂期と衰退期を支える。そんなわけでホークことホーキンスに続けた。

 1930年2月8日、ミシガン州デトロイトで生まれる。デビュー前の経歴はわからない。1940年代の終わりから地元や周辺で活動、48年から53年にかけては同郷のオリヴァー・ジャクソン(ds)と組んだバラエティ・ショー「バップ・アンド・ロック」でも活動していた。1954年にニューヨークに移り、ディック・ウェルストッド(p)、トニー・パレンチ(cl)、ヘンリー“レッド”アレン(tp)、ウィリー“ザ・ライオン”スミス(p)、テディ・ウィルソン(p)、ロイ・エルドリッジ(tp)と共演、60年代はホークの、70年代はロイのコンボに在籍する。1980年代から90年代にかけてもニューヨークのトラッド系や中間派ジャズを縁の下で支えていた。2009年9月7日、ニュー・ジャージー州ラムゼイで逝去。

 デトロイト時代の録音は残されていないし、「バップ・アンド・ロック」というチームの実態も判然としない。ジャクソンを迎えた再会セッション『ジャイヴィン・ウィズ・ザ・リフュジーズ・フロム・ヘイスティングズ・ストリート』(1977年、キアロスキュロ)は「キング・コール・トリオ」もどきのジャイヴ集で、ロックはヴォーカルに専念している。ドラマーとしての前歴は不明だが、ニューヨークに進出後、ジョーンズに師事したと見て間違いない。先の回想にあるようにジョーンズのタイコ持ちならぬタイコ運びだったし、何よりもそのスタイルは小型ジョーンズというべきものなのだ。1950年代の半ばに中間派ジャズが興隆するとジョーンズは新旧の奏法を巧みに案配したドラミングで気を吐くが、50年代の終わりに中間派ジャズが盛りを過ぎると、軽快なビートを送り出すだけの刺激に乏しいドラミングに終始するようになる。ロックのモデルは停滞期のジョーンズだった。

 ロックのドラミングは次の2パターンで要約できる。スティック・ワークから見ると、テーマはハイハットのレガートから始めることが多い。ソロのバッキングではレガートをトップ・シンバルに移し、スネアでオフ・ビートまたはオン・ビート・アクセントを付け、概ね聴きとりづらいがハイハットを二ツ踏みする。タムタム、フロア・タム、クラッシュ・シンバルの使用は極めて希で、バス・ドラムはまず聴こえない。ブラシ・ワークも見事に師匠譲りの打撃系で、たまに擦り系を併用し、ハイハットを二ツ踏みしている(はずだ)。どちらのパターンでも我が家の食卓と同様にオカズ(フィルイン)は少なく、その辞書に煽るという文字はない。師匠も豪快な印象とは裏腹にスタティックなドラマーだったが、それでもソロイストに応じてバッキングに変化はつけていたし、煽りもあった。ロックはひとたびパターンを決めると十中八九それで通す。文字通り“ロック”してしまうのだ。

 参加録音は59セッション-403曲あり、54セッション-344曲が発表されている。後者の9割は中間派セッションだ。モダン派セッションはレイ・ブライアント(p)の『リトル・スージー』(1960年1月、コロンビア)中の6曲、ケニー・バレル(g)の『ブルージー・バレル』(62年9月、ムーズヴィル)、リー・コニッツ(as)の『シカゴ&オール・ザット・ジャズ』(75年5月、LRC)しかない。残りはブルース系が中心のヴォーカルものだ。ジャンル、リーダー、セッティングの違いにかかわらず、ロックは上述したマイペース・ドラミングに徹している。ポップなコンセプトでは単調なドラミングもそれほど気にならなかったが、推薦できる筋のものでもない。目を引いたものにふれておけば十分だろう。

 ロイの『ホワット・イッツ・オール・アバウト』(1976年1月、パブロ)では例になく気合いが窺えるが、それが普通のドラマーの水準だと言われればそれまでで、アルバムは冗長極まりない。ドラマーとしては唯一のリーダー作『エディ・ロック・アンド・ヒズ・フレンズ』(1978年5月、ストリーヴィル)も同様だ。《キャラヴァン》では豪快なロング・ソロで驚かすが、そもそも師匠の持ちネタで、ロイとヴィック・ディッケンソン(tb)が精彩を欠いているとあっては薦められない。95歳を迎えたベニー・ウォーターズ(as)の記念ライヴ『バードランド・バースデイ』(1997年1月、エンヤ)では比較的手数の多い、少しはアグレッシヴなドラミングを見せている。これが最良だとは思うが、やっと普通のドラマーの水準とも言えそうだ。目玉は年齢を悟らせない鳴りの良さとファナティックな持ち味で気を吐くウォーターズ翁で、ロックを目当てに聴くものでも買うものでもない。珍しくも「推薦盤なし」ということになったが、1999年の録音までしか追えていないので、それ以降に名演があるぞという方は、本サイトの掲示板でお知らせいただければ幸いだ。

 「その時」は修行中の身だったのだろう。1950年代の録音は白人ブルース歌手、ドック・ポーマスの1曲(50年代の中頃)と、R&B系のオルガン奏者か、デイトン・セルビーの4曲(57年2月、ビクター)しかない。「その時」は最前列の左端から三番目、ハンク・ジョーンズ(p)の右側にいる。ロックの単調な、十年一日のような演奏を追ってくると、「その時」も以降もこういう場所には不釣合いのように思えてくる。良く言えば堅実な、悪く言えば単調なドラミングに徹するロックは、爆弾投下を好まなかったヴェテランには好ましい存在だったのだろう。前進意欲のなさを責める気はしない。57人もいれば様々な行き方がある。ロックも自分なりの流儀でジャズの豊かな伝統を担っていたのだと思う。

A Great Day in Harlem

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