林 建紀のハーレム五十七士 vol.40
スウィング|中間派 エメット・ベリー:Emmett Berry(tp)当時43歳
1915年7月23日、ジョージア州メーコンに生まれ、オハイオ州クリーヴランドで育つ。十代でクラシックのトランペットのレッスンを受け始める。およそエグミのない持ち味はその賜かもしれない。すぐにジャズに転向、地元で演奏活動に入り、1932年には「シカゴ・ナイチンゲールス」に加わって楽旅に出る。アイドルはルイ・アームストロングだった。1935年にニューヨークに進出し、翌年にロイの後釜でフレッチャー・ヘンダーソン楽団に迎えられ、解団する39年まで籍を置く。1940年はホレス・ヘンダーソン楽団とアール・ハインズ楽団で演奏し、41年から42年はテディ・ウィルソン・セクステットに在って、ビリー・ホリデイ(vo)とも共演した。その後はラッキー・ミリンダー楽団(1942年)、ライオネル・ハンプトン楽団(43-45年)、ベニー・カーター楽団(45-46年)などの一流バンドを転々とする。1946年にカウント・ベイシー楽団に迎えられ、解団する50年まで在籍した。一時的にエレベーター・ボーイで凌いでいたが、やがてバックとラッシングのバンドで活動を再開する。1951年にはジョニー・ホッジス楽団に参加、54年まで留まった。その後は中間派をメーンに多くのセッションに参加、55年から56年にかけてはサミー・プライス(p)とフランスや北アフリカを、59年と61年にはバックとヨーロッパを回っている。1960年代はフリーになりバディ・テイト(ts)らと活動した。1970年、健康状態の悪化から引退、故郷クリーヴランドで四半世紀近く隠遁し、93年6月22日、同地で逝去。
エメットの参加録音は760曲余りある。決して少なくないし、ほとんどが一流どころの名義だ。にもかかわらず知名度は低い。在籍した時期がよくなかった。一流とはいっても、衰退期の演奏にも関心を寄せるファンはまずいない。ヘンダーソン楽団、ベイシー楽団、カーター楽団がこれだ。後二者では看板ソロイストがいてソロをとる機会も少なかった。バンドが録音の機会に恵まれなかった場合もある。ハインズ楽団、ミリンダー楽団、ハンプトン楽団がこれだ。運不運も器量のうちとはいえ、なんとも惜しい。順に見ていこう。
初録音は1937年3月、ヘンダーソン楽団のヴォカリオン・セッションだ。《リズム・オブ・ザ・タンバリン》でフル・コーラスのソロが聴ける。ロイ直系の直截なスタイルだがアクや激しさはない。スマートな語り口に個性が窺える、初期を代表する快演だ。ノリの良さが知れる《クリス・アンド・ヒズ・ギャング》(1937年6月/同)も同水準の快演で、《シング・ユア・シナーズ》(10月/同)がこれらに次ぐ。ホレス・ヘンダーソン楽団の演奏でエメットと見られるなかではロイ流のノリを見せた《ジンジャー・ベル》(1940年7月/オーケー)が好演で、《フリンギン・ア・ウィング-ディング》(8月/同)が快演だ。ここまではロイ流だが、翌年から変化が見られるようになる。カーター楽団の《バック・ベイ・ブギ》(10月/ブルーバード)では簡潔で軽やかな語り口を見せてロイ色が薄れ、ウィルソン・セクステットの《Bフラット・スウィング》(42年7月/コロンビア)での簡明な語り口はロイよりバックに近い。これで録音は途絶えて変貌の過程は追えないが、中庸の良さを身上としたスタイルは遅くとも翌年の秋には確立していたものと見られる。
スタイル確立直後のエメットはエドモンド・ホール(cl)のセッション(1943年12月/コモドア)で聴ける。《ダウンタウン・カフェ・ブギ》は輝かしく活気に満ちた快演で、《アップタウン・カフェ・ブルース》はブルースの巧さが知れる好演だ。これに続くロイ、ジョー・トーマスと共演したロイ名義のトランペット・アンサンブル(1944年1月/キーノート)にも《その手はないよ》《アイ・ウォント・トゥ・ビー・ハッピー》の快演が並ぶ。立て付けに優れたエメットが一番の出来と聴いた。また、一時期はモデルだったロイとの乖離が容易に見てとれる。ウォルター“フッツ”トーマス(ts)、コジー・コール(ds)のセッションでも悪くはないが、露出度が低く薦められない。ウィルソン・セクステットのセッション(1944年6月/放送音源)が優れた出来だ。《フライング・ホーム》《インディアナ》は快演、残りも半数は好演に値する。構成力と寛ぎと躍動感に富む自然な語り口はバックを想起させる。初リーダー・セッション(1944年8月/ナショナル)はどうということもない。控え目な様子からして実体はドン・バイアス(ts)のセッションだろう。
1944年の秋から冬にかけてベイシー楽団で演奏したようだが、当時の放送録音にソロは見当たらない。スターはハリー・エディソンだ。1945年の初めから1年ほど在籍したカーター楽団でも出番は少ない。カーターはトランペットのスターでもあった。それと思しき数曲では《フィッシュ・フライ》(1945年春/放送録音)がノリノリの快演だ。同時期のカービー・セクステット、スリム・ゲイラード(g)、イリノイ・ジャケー(ts)のセッションに見るべきものはない。1946年2月、ベイシー楽団に加わる。やはりスターはエディソンだ。エメットの出番は希で露出度も低く、大した出来ではない。コンボ・セッション(1947年5月/ビクター)ではエディソン流を見せて興味深いが、それだけだ。1948年にクラーク・テリーが入団、出番はエディソンを凌ぐようになる。エメットの出番が増えるはずもなく、数曲のソロも普通の出来だ。くさっていたのではないか。在団中のバディ・テイト(ts)のセッション(1947年12月/シュプリーム)では鬱憤晴らしか、力任せの吹奏でガッカリさせる。1950年1月、楽団は解散、エメットは成果を残せないまま去った。
1950年の春、一時的失業を経て本業に戻る。1951年の2月までラッシングやR&B系の歌伴が続き、ソロは聴かれない。同月、ホッジス楽団に参加する。デューク・エリントン楽団のコピーにすぎない同楽団はアンサンブルも重視、目玉はもちろんホッジスだった。半数弱で概ね1コーラス程度のソロを許されている。なかでは《スウィート・ジョージア・ブラウン》(1952年3月/クレフ)がいいが、ロイのリックが飛びだすとあっては好演がいいところだ。同水準なら、弾むようなノリがバックを想わせる《ホッジ・ポッジ》(7月/ノーグラン)のほうが“らしくて”買える。総じてソロの大半はバック風で好ましいが、ロイがチラつくものはつまらない。ちなみに、ジョン・コルトレーン(ts)が参加した放送録音(1954年6月頃)のトランペッターはハロルド“ショーティ”ベイカーのように思う。1954年8月、サー・チャールズ・トンプソン(p)のヴァンガード・セッションに参加、しばらく中間派セッションへの参加が続く。立て付けに優れ、歌心と活気と躍動感に富む持ち味を発揮して喜ばしい。《フォア》が一推しの快演で、《ダイナフロー》がこれに次ぐ。
1955年8月、『ジョー・ジョーンズ・スペシャル』(ヴァンガード)の録音に参加する。最も知られた参加作でエメットの代表作とされてきたが、さてどうだろうか。いつになく華やかでエディソンを想わせるスタイルで通している。『世界ジャズ人名辞典』(スイングジャーナル社)に「エディソンに影響された」とあるが、本作がその拠り所ではないか。これを含めてエディソン風の演奏がないわけではないが、決して支配的ではない。むしろその対極にある端正なスタイルだ。「カンザス・シティ・セヴン」の再編というべき本作ではエディソン風に演奏しただけかもしれない。《シュー・シャイン・ボーイ》《リンカーン・ハイツ》《ジョージア・メー》は快演にちがいなく、らしからぬところがなければ代表作の資格は十分にあるのだが。この5日後と同日に録られたラッシングの『リッスン・トゥ・ザ・ブルース』では元の抑えの効いたスタイルに戻っている。9曲中6曲でとるソロにはドロ臭さのないニートなブルース感覚が漂う。《エヴリデイ・アイ・ハヴ・ザ・ブルース》《グッド・モーニング・ブルース》《イヴニン》が屈指の快演で、残りも水準以上の出来だ。
1955年12月、プライスとフランス~北アフリカへのツアーに出た。プライスの諸作を中心としたパリ録音が翌年の5月まで続く。聴けた範囲にこれといったものはなかった。やはり端正でよく歌っているが、あとに何も残らない。盤が未着のアーニー・ウィルキンスの『トランペッツ・オール・アウト』(1957年1月/サヴォイ)は後日に譲るとして、帰米後の録音に一聴に値するものは乏しい。ボビー・ドナルドソン(ds)の2作(1958年5月/サヴォイ系)に期待したが、ディキシー系の一作はリードが中心、スウィング系の一作は出番が少なく不満が残る。好調に見えるだけに惜しい。バックの『コペンハーゲン・コンサート』(1959年9月/スティープルチェイス)も好調だが、より構成力と躍動感に富むバックに一歩を譲っている。《スウィンギング・アロング・オン・ブロードウェイ》が好演だ。バックの『バーゼル1961』(1961年5月/TCB)では派手なプレイに終始し、いただけない。このあとにハインズのライヴ作(1967年5月/ジャズ&ジャズ)があるが、おそらくセクション・ワークだろう。録音で追う限り、1955年で終わった人のように思う。
推薦盤はラッシングの『リッスン・トゥ・ザ・ブルース』(ヴァンガード)にした。単なる歌伴ではなくてラッシングを中心としたジャム・セッションなので敬遠しないでほしい。これに次いでは、らしからぬ快演という但し書つきで『ジョー・ジョーンズ・スペシャル』(ヴァンガード)をお薦めする。戦前のものではウィルソンの『ザ・コンプリート・アソシエイテッド・トランスクリプションズ1944』(ストリーヴィル)が最上だ。これ以外の好演や快演についてはそれを集めた選集はなく、個々のリーダーの作品で聴くしかない。
「その時」の1958年、エメットは何か事業を始めたようだが、50年代では最多となる11セッションに参加している。前述したように目ぼしいものはないが、やはり多忙だったのだろう。「その時」は写真右側、前から2列目、メアリー・ルー・ウィリアムス(p)とセロニアス・モンク(p)の後ろに立っている。虫の居所が悪かったのか、ふだんからこうだったのか、無愛想だ。ヤクザ映画に登場する新興勢力側の親分を連想した。健康悪化が頷ける体形だが、音域といい音量といい、ストレスのない吹奏を許したのもこれだろう。
A Great Day in Harlem
Jazzed in Cleveland
Jimmy Rushing/Complete Goin’ to Chicago and Listen to the Blues
Lonehill (Vanguard)
Recorded on August 16, 1955.


