critique / 音楽批評
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2010.02.01

後藤雅洋×益子博之 往復書簡「ジャズにおける身体感覚の変容と認識の切断面 再考」 vol.31

このところの音楽体験と読書によって生じた考えの変化の道筋を少し詳しく説明すると...

後藤:ご返事が大幅に遅れてしまったのは、私事にかまけていたこともあるのですが、このところの音楽体験(いーぐるにおけるおおしまゆたかさんの講演)や、たまたま目にした文章(講談社の雑誌『本』掲載、野矢茂樹氏の連載記事『何を見ているのか』22)などによって、少々思い直すところがあり、そのため、ほとんど発表する直前まで書きあがっていたご回答を大幅に書き換えることとなったためです。

相澤さんのおっしゃる
【結論は「時代とともに音楽が変化する」で一向に構わない、重要なのは「どのように変化したか」ということが「どのように記述できるか」ということではないかと思っているのです。】
というご意見、まったく同感です。これに続く
【つまり、結果的にその記述に寄り添う形になったとしても批判する形になったとしても、今までピンとこない音楽でしかなかったものに、新たな向き合い方が出来る可能性が開ければそれでよい、と私は考えているようです。】
という部分も、私の今の心境とほとんど同じです。

また、そうした「記述によって音楽に対する新たな向き合い方」が出来るようになった体験の実例として、亡くなった軒口隆作さんの文章を引用されていますが、私も、相澤さんの挙げられたケースではありませんが、かつて『ジャズライフ』に掲載されていた軒口さんの記事によって、ジャズの聴き所が掴めた事が何度もあります。あの方はジャズ理論をシロウトにもわかりやすく説明し、そこからジャズの魅力を伝えることが出来る、実に優れたジャズ評論家でした。かえすがえすも残念な方を亡くしたものです。

しかし、これでは相澤さんと私の見解の相違がまったく無くなってしまいますが、そうなってしまった理由は、冒頭に書いたとおりです。そこで、私の考えの変化の道筋を少し詳しくご説明する必要があると思いました。野矢さんの記事が決定的でした。その内容をご説明する前に、私が以前からわからなかったことの一つに、think第4回で触れた「虹の見え方」の問題があります。日本人は一般に7色という虹を、3色だという人たちはほんとうに3色しか感じていないのか? それとも、彼らもわれわれと同じように連続した太陽光スペクトルを感じ取ってはいるが、単に色名が3つしかない(それ以上の色名は生活に必要が無い)だけのことなのか?

think4を読み返してみると、
【網膜上には6色なり7色なりが投影されているが、それを頭で2色なり3色なりに「翻訳」していると考えることも出来ようが、実はその「翻訳作業」自体を〈感覚〉と呼ぶべきなのである。】
と書いていますが、野矢さんの記事を読み、この現象=「翻訳作業」を、〈感覚〉=知覚作用として捉えるべきでなく、むしろ「言語作用」=概念化作用と考えるべきであると気が付いたのです。

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