critique / 音楽批評
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2010.02.01

後藤雅洋×益子博之 往復書簡「ジャズにおける身体感覚の変容と認識の切断面 再考」 vol.32

「新しいジャズ」のニュアンス、聴き所を概念化する適切な批評のことばが生まれていないことが問題

後藤:なにかジャズにまったく関係ない話のようですが、私にとってこれはかなり重要な問題で、仮に前者、つまりほんとうに3色にしか見えないとしたら、これを聴覚に置き換えれば、さまざまな楽器の醸し出す複雑な空気の疎密波のうち、特定の周波数しか感じていないような事態に当たり、こうした人たちと音楽について意見を交換するのはきわめて難しい(ジャズ評論が成立しない)。立場を変えれば、自分より複雑な音響要素を感知している人たちの音楽を理解することは、原理的に不可能ということになる。

しかし、単に文化の差で同一の音響現象に対する分節の仕方(どういう音響要素[リズムだとかメロディだとか、あるいは音色といった]を重要と感じ取るのか)が異なるだけなら、「学習」あるいは適切な言語的示唆によって、その差を乗り越えることはいくらでも可能なわけです。つまり今私たちが話題にしている「最近のジャズのわかりにくさ」の背景に「音の聴こえ方の違い」があるとして、その「違いの質、内容」がどうなのかによって話はまったく変わってくる。

野矢さんの連載はこうした疑問に直接答えているわけではありませんが、「知覚には概念的な知覚も非概念的な知覚もある」という言い方で、この世に存在するすべての色彩(りんごの肌の微妙な色合いなど)を赤や青、そして萌黄色などといった色名で表示することなど不可能だが、かといって色名の無い色をわれわれは感じていないわけでもない。また、そうした多様で「微妙な色」は、必要が生じれば概念化されうる。つまり、新たな色名=ことばが生まれると論じています。

これをジャズの場面に置き換えれば、新たに生まれつつある多様な「新しいジャズ(音楽)」の「微妙なニュアンス」に対して、私たちは、それを説明することばはまだ持っていないが、そのサウンドを感じていないわけではない。従って、しかるべき適切なことば(まさにここに批評の存在意義があるのですね)を用いれば、そのニュアンス、聴き所は概念化=言語化され、それに対する(肯定するにしろ批判するにしろ)共通の評価軸が成立する可能性が生じるだろうということです。つまり、このところcom-post上で話題となっているポストモダンジャズ問題の難しさといわれているものは、新たな対象に対する適切な批評のことばが生まれていないがゆえに生じている、ということになるわけです。

そうした視点で考えれば、昨年から続いている益子さんによる21世紀ジャズについての連続講演は、こうしたジャズ評論のための新たな評価軸を立ち上げるための非常に重要な作業として浮かび上がってくると思います。

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