グリッチ的サウンドをアクースティックな楽器で描出する
最近のNY勢を聴き慣れた耳には、いかにも時代遅れに響く
まだ、やってたんだ。と、まず感じたのは、世評の高かった2002年の『Nu Bop』(Thirsty Ear Blue Series)以降、このプロジェクトに関する情報が全くなかったからだ。音響派的、と言って良いのだろうか、グリッチ・ノイズやデジタル・ノイズ、サンプリング音の導入と、ダンス・フロアを意識した定型ビート。発表当時、ドラムン・ベースからフューチュア・ジャズに至る、主にヨーロッパの白人たちから発信されたムーヴメントに対してアフリカン・アメリカンはスピリチュアル・ジャズ派によってなされた遅すぎた回答、というニュアンスで受け取っていた。だが、そのサウンドの意匠は身体感覚の奥底から湧き出てきたものとは言い難く、まるで取って付けたような、遅ればせながら流行に便乗したもののように筆者には感じられた。さて、スタジオ録音から2年あまり後のライヴ録音、ポスト・プロダクションで違和感を解消する余地のないセッティングで行われた演奏はどうか? その結果は、取って付けた感がさらに増大したものだった。エレクトロニクスを扱っているのは主にギジェルモ・ブラウンだろう。ドラム・マシンによる定型ビートや、サンプラーを用いた電子音やノイズをリアルタイムで織り重ねていくのだが、音響派的なサウンド・テクスチュアやグリッチ的なギクシャクした訛るリズムをアクースティックな楽器演奏で描出する動きが拡がりつつある最近のNY勢を聴き慣れた現在の耳には、どうにもピンと来ないというか、時代遅れの感が否めない。それどころか、2曲目のドラム・ソロなど、キング・クリムゾン「Groon」(『Earthbound』収録 1972年録音)の衝撃や切迫感に比べたら...。
ダニエル・カーターがやや小粒とはいえ、後半のスピリチュアル・ジャズ的な盛り上がりはまだまだ棄てたものではない。変にエレクトロニクスへの色気など見せずに、このユニットはストレートな演奏表現で勝負して欲しいものだ。



