critique / 音楽批評
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2010.02.16

後藤雅洋×益子博之 往復書簡「ジャズにおける身体感覚の変容と認識の切断面 再考」 vol.33

後藤さんの考え方の転回の内実、その思考の過程を詳しく知りたい

相澤:後藤さんの返信を読み、結果的にほとんど同じ考え方に至ってしまったような印象をもっております。しかしながら、もともとわたしは後藤さんを説得しようと思っていたわけではなく、考え方にどのような違いがあるのか、その差異を知りたかったので、その意味では正直にいうと若干物足りないとも感じております。

おおしまゆたかさんの講演および野矢茂樹さんの文章が、後藤さんにある種の転回を促したことは伝わってきますが、後藤さんが今までどのように考えていらっしゃったのか腑に落ちていなかった身としては、その転回の内実がいまひとつ伝わってきません。

後藤さんご自身にとっては後ろ向きな話かもしれないのですが、もしよろしければ、当初わたしの考えにどのような反論なり批判なりをされようとしていたのか、そしてそれがどのような点で有効ではないと考えるに至ったのか、というご説明を頂けないでしょうか。読者の中にもわたしと同じような思いを抱かれている方がいらっしゃるかもしれないと推測致します。

その上で、後藤さんがキーワードとされていた「身体感覚の変容」および「認識の切断面」という概念の捉え方・位置づけに変化があったのかどうかという点も伺ってみたいです。

わたし自身は引き続き、80年代に登場した若手ミュージシャンと90年代に登場した若手ミュージシャンの音楽の違いが「認識の切断面」につながる、という問題の立て方はそんなに悪くないのではないかと思っております。たとえばジョシュアの「フニャフニャしたサウンド」の「フニャフニャ感」がもし分節できれば、面白く聴こえてくるのかもしれませんし、もしかしたらある世代の人たちにはさほど学習せずともそれができてしまっているのかもしれません。仮定の上に仮定を重ねた推論に過ぎませんけれども。

もっともこの先に、楽理を使わずにどう音楽を(上記の例では「フニャフニャ」を)分節し記述するか、という難問が控えていますから、仮に上記のように問題を立ててみたとして、何か一気に視界を開くようなことができるわけでもないとは思っております。

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