アルトは個性不足だけど、曲のよさで聴かせる。
ユーリ・ガーヴィッチはイスラエル出身、バークリーを出て今はNYで活動しているアルト・サックス奏者だ。このデビュー作はオーソドックスなカルテット編成(3曲にテナーのクリス・チークが参加)で、イスラエル音楽のテイストを採り入れたオリジナルを演奏している。6拍子の(1)に典型的なように、エキゾティックなメロディはジョン・ゾーンの「マサダ」を彷彿とさせるもので、ゾーンの「TZADIK」レーベルから「ラディカル・ジューイッシュ・カルチャー」シリーズの一枚としてリリースされたのも、そのあたりがきっかけなのだろう。マサダもそうだが、ジューイッシュ的な旋律って実は「哀愁のマイナー調」だったりするので、フツーのジャズ・ファンも何の抵抗もなく楽しめると思う。
アルトの演奏は勢いと爽やかさがあっても、ちょっと個性不足かな、と思えるけど、キューバ出身のドラマー、フランシスコ・メラをはじめとするメンバーたちの質はすごく高いし、何よりも曲のよさで飽きずに聴かせる佳作だ。
久しぶりにジャズらしいジャズを聴いたなぁ、という気分に
させてくれるが若手がこれで良いのか? と思うのも確か
ジョン・ゾーンの主宰するツァディク・レーベルは、ほぼ毎月3〜4枚のリリースという驚異的な物量攻勢をキープしているため、正直言ってほとんどフォローできていないのが実状である。特に“Radical Jewish Culture”シリーズは見たことも聞いたこともない上、読み方もわからないような名前が並んでおり、試みに聴いてみると何やら掴み所のわからない音楽だという経験が多かったので、既知のミュージシャンの名前があり、内容の予想がつくもの以外はどうにも食指が動きにくいのだ。それに比べると、“Archival Series: The Book of Angels”というマサダ曲集は演奏者の個性や解釈がストレートに表出されたものが多く、昨年はメデスキ,マーティン&ウッドやマーク・リーボウがロック色の強い作風で楽しませてくれた。そこで今回のお題、イスラエル出身の若手アルト奏者の初リーダー作であり、解説によればイスラエルやイェメン、東欧、北アフリカの音楽が盛り込まれているとのことなのだが、何も考えずに聴いていると50-60年代のハード・バップを思わせるような哀愁漂う泣きのマイナー・メロディ満載の曲想に、テーマ→アドリブ→テーマというオーソドックスな構成のものばかりだったので若干拍子抜け。というか、先入観とは恐ろしいもので、全然ラディカルでもジューイッシュ・カルチャーでもないではないか、という極めて短絡的な反応をしてしまったのだ。とはいえ、ユダヤ人やユダヤ音楽がモダン・ジャズ(だけでなく、アメリカのポップ・ミュージック全般)に与えた影響には計り知れないものがあることも事実で、ジョン・ゾーン的にはその辺りを改めて主張したかったのかもしれない。
アルゼンチン出身のピアニストに、ブルガリア系でフィンランド生まれのベーシスト、そしてキューバ人のドラマーと実に国際色豊かな出自ではあるが全員バークリー音楽大学出身という、ある意味、今のニューヨークのジャズ・シーンに典型的な編成となっている。ウリ・グルヴィチ(と読むと思うのだが、アメリカ人はガーヴィッチと呼びそう)は、昨今の白人アルト奏者の多くと比べるとグッと太い音色で、時に唸りを混ぜるコブシ回しはマイナー調に程良くマッチしているし、ピアニストはゴツゴツしたタッチでなかなかの個性派。久しぶりにジャズらしいジャズを聴いたなぁというような、ホッとした気分にさせてくれる演奏だ。だがその一方で、20代〜30代前半の若者たちがこんなに保守的な音楽をやっていて果たして良いのだろうか? という思いが過ぎるのも確かなわけで…。
2人のアヴィシャイ・コーエンやオメル・アヴィタール、エリ・ディジブリ、ギラド・ヘクセルマン等々、00年代に入ってからのイスラエル出身者の台頭ぶりには目を瞠るものがある。だが、彼らの音楽から共通して感じられるのは、「俺たちは自分が好きな音楽をやっているだけだもんね」的な脳天気さである。イスラエルの国際政治における立場やユダヤ文化のアメリカ社会における位置付け等から想像されるような厳しさや緊張感といった今現在のリアリティ、アクチュアリティが希薄なのだ。寧ろ、それらを感じさせるような要素を意識的に排除しているようですらある。
ノラ・ジョーンズの登場以降、ポップスの世界でもアクースティックで懐古的な志向性を持った若手が増えているという。ジャズの領域でも、私にとって刺激的な音楽をやっているミュージシャンは30代後半〜40代とほぼ同世代が圧倒的に多く、出自を問わず多くの若手に冒険心を感じることは少ない(単に世代的な好みだろうって? う〜ん、それも否定はできない)。こうした現象の原因について社会学的に語ることはいろいろできるのだろうが、ここはその場所ではあるまい。ただ、過去の音楽のスタイルに対する疑義をほとんど抱かないまま、自分たちが生まれ育った時代や環境、文化との直接的な接点がない(ように見える)音楽を追求する一群の若手ミュージシャンが着実にシーンの一角を占めている。彼らが何に目覚めて何を目指しているのか、それはそれで大いに興味をそそられるものがあるのだ。
※ピアノのレオ・ジェノヴィズはフレッシュ・サウンドに1枚、ドラムスのフランシスコ・メラはAYVA MUSICAというスペインのレーベルとハーフノートに計2枚のリーダー作がある。本作のリズム・セクションはメラの1枚目と同じだ。いずれも本作ほど保守的ではない。
過ぎたるは及ばざるが如しって知ってるかい、ユリちゃん。
だけど、ドラムがいい。今のジャズ・ドラムの音がする
クロス・レビューのラインナップは、メンバーの持ちまわりで選ばれている。今回のキュレーターは八田真行さんだ。
Uri Gurvich? 誰それ? 読めねえ!!!
とりあえず‘ユリちゃん’という愛称をつけようと思う。
購入はディスクユニオン新宿店にて。八田さんのご推挙、受けて立とうじゃないかと思い、不見転で買った。
インフォメーション、なし。いきなり盤をプレイヤーにぶち込んだ。
第一印象、ドラムがいい。今のジャズ・ドラムの音がする。すべてのタムが平たく並べられ、近づけて置かれているのだろう、各パーツへのスティックの移動が実に滑らかだ。スネア・ドラムは、ひょっとしたら左ひざに8分の1ぐらい乗っかってしまっているかもしれない。いいぞ、ユリちゃん。
第二印象、曲がいい。マイナー調の、なんともいえず切ないメロディ。わらぶき屋根のてっぺんにのぼって、沈みゆく夕日をみながら、スルメでもかじりつつ聴いたら、もっとグッとくるだろうなあ。と思ったが、アルバム後半になると、いささかダレた。マイナー調の一発ものが多すぎるのではないか。過ぎたるは及ばざるが如しって言葉を知ってるかい、ユリちゃん。
第三印象、キーボードが鋭い。イマジネーション豊かなミュージシャンという印象を受けた。マイナー調の一発ものの中で、じつに起伏にとんだアドリブを聴かせてくれる。センスいいよセンス、ユリちゃん。
それに対してアルト・サックスはなんだか線が細いような気がするなあ。良いか悪いかといえばもちろん「良い」けれど、もうちょっと狂ってくれたほうがワタクシ的には嬉しい。テナー・サックスも印象が薄いなあ。ベースは、音の選び方に「確信」が足りないような気がする。
繰り返し3度聴いた後、ようやくCDケースを裏返す。ブックレットに記載されているデータに目を通す。
ははあなるほど、ユリちゃんはアルト・サックス奏者だったわけね。だけど僕にはフランシスコ・メラのドラムスが一番の収穫でした。
切れの良いリズムに乗ったジューイッシュ・メロディ。
一音一音にミッチリ気合、根性が詰まっている
冒頭、切れの良いリズムに乗った、おなじみジューイッシュ・メロディ。なるほど、そっち系の音楽か。そして時折姿を現す「夜泣きソバ、チャルメラ旋律短調版」。もっともこのフレーズで深夜唾液が自然発生したのは、そうとうジジイ、おババの世代。それにしても、この初めて名を聞くアルト、いい音出している。音フェチの私としては、とりあえず○。聴き進めるうち、根性もタップリ。これは良い。思い出したのは、楽器は違うけれど同質の緊密感を感じさせたユダヤ・トランペッター、アヴィシャイ・コーエンの気合の入った演奏だ。特に変わったことはやっていないのだけど、一音一音にミッチリ怨念、いや違った、気合、根性が詰まっている。
こうした説明を聞くと、デイヴ・リーブマン辺りのネクラ(失礼)音楽を思い浮かべちゃうかもしれないが、ユリさん(ウリさんかな)はもっと前向き。やはり世代が違うのだろう。クロス・レビュー用に苦労して入手したが、これは店の営業でちゃんと使える。ディスク指定者八田さん、良いミュージシャン、ご紹介ありがとう。
ユダヤ音楽ならではのマイナー・メロディと
ジャズの強力なビートをうまく融合させる才人だ
鬼才ジョン・ゾーンがTzadikレーベルを立ち上げてから早いもので今年で14年になるが、今やその柱の一つにまで成長したのが、伝統的なユダヤ音楽を現代のセンスで解釈するという「Radical Jewish Culture」と題されたシリーズである。「急進的ユダヤ文化」という物々しいタイトルもさることながら、おっかない写真や絵があしらわれたおどろおどろしいジャケットデザイン(別にこのシリーズに限らず、ゾーンがらみの作品は大体そうだけど)、しかも裏面には曲名が載っておらず(載っていてもたぶん何の手がかりにもならないのだが)、一応演奏メンバの一覧は載っているものの、おそらく一般的な日本のジャズファンにはほとんど馴染みのない名前ばかり(そもそもどう発音したらよいのか分からない場合すらある)、といった具合で、万一CDショップなどで手に取っても、一見で購入にまで至る剛毅な人はごくわずかではないかと思う。しかしわたしが思うに、ゴリゴリのハードバップ原理主義者を自認するような人こそ、思い切ってこのシリーズに手を出してみるべきなのである。なぜなら、ハードバップの魅力として挙げられることの多い、日本人好みのたそがれた哀愁だの泣きの入ったメロディだのは、実のところユダヤ音楽由来である可能性が高いからだ。
ジャズとユダヤ音楽の関係は、わたしたちが想像する以上に深い。いわゆるスタンダード曲の多くはユダヤ人の作曲家によって書かれたものだし(ガーシュインやアーヴィング・バーリンが好例)、曲によってはユダヤ古来のメロディをもろに引用してもいる。また、優れた「白人」ジャズミュージシャンの大半は、実はユダヤ人だった。アーティ・ショウの本名はアーサー・アーショウスキー、スタン・ゲッツの本名はスタンリー・ゲイツキー、ポール・デズモンドの本名はポール・ブライトンフェルド、ドン・エリオットの本名はドン・ヘルフマン、テリー・ギブズの本名はジュリアス・グベンコ。どれも極めてユダヤ的な姓だったがゆえに、営業上の理由で改名を迫られたのである(日本人にとって白人とユダヤ人の区別はそれほど自明ではなく、「ユダヤ臭い」名前というのもピンと来ないが、アメリカ人にはすぐ分かるし、黒人に対するものほどあからさまではないにせよ隠微な差別が存在した)。さらに、ジャズ・ミュージシャンのアルバイト先として当時ポピュラーだったのが、ユダヤ教の祭礼、例えば成人式にあたるバル・ミツワーに付随するパーティでの演奏だった。こうした場ではユダヤ音楽(風のダンスミュージック)の演奏が求められたため、自然とレパートリーにユダヤ風のものが加わっていったのだ。エリントンは言うに及ばず、サン・ラーのアーケストラですら、営業用にユダヤ音楽の譜面を用意していたくらいである。
いわゆる戦前ブルーズに親しんだ方は先刻ご承知だと思うが、そもそも元々の黒人音楽というのは、しばしば「塩辛い」「苦い」などと表現されることからも分かるように、それほど甘さが感じられるようなものではなかった。プリミティヴなブルーズがハードバップへと洗練されていく過程では、様々な「不純物」が様々な経路で外部から入り込んできたわけだが、その一つは明らかにユダヤ音楽だったのである。論より証拠、例えばクレズマーをしばらく聞いた後でジャッキー・マクリーンやティナ・ブルックスの曲を聞くと、意外なほどの「感触」の相似に驚かされるだろう。
そんなわけで、ジャズは大部分黒人が作ったというのは別に間違いではないが、少なくともその一部、特にセンチメンタルでマイナーな甘みなどはユダヤ音楽にもルーツがあると考えられる。90年代、マルサリス兄弟らがジャズをあくまで黒人のものとして囲い込み始めたのと時をほぼ同じくして、ユダヤ人であるゾーンもまた「マサダ」のようなプロジェクトでユダヤ音楽を真正面から取り上げ始めたので、ゾーンですら偏狭な自民族中心主義に走るのかというような批判もあったと聞くが、実のところ、彼の「ブルーノート」やハードバップへの偏愛と、ユダヤ音楽の探求精神は、それほど遠いところにあるわけではないのである。すでに拡散、希釈しきってしまい、もはや今となっては当の黒人にすら借り物でしかない「黒人性」に自分の表現の中核を求めざるを得ない最近の若い黒人ジャズミュージシャンよりは、幸か不幸か依然強固に受け継がれている自らのバックグラウンドに忠実に吹くゾーンらユダヤ人ミュージシャンの音楽のほうが、なぜか昔ながらの「ジャズっぽい」肌触りを備えてしまうという逆説的な状況は、おそらくこのあたりにも理由があるのではないか。
前置きが長くなったが、本作について。リーダー、アルトサックスのユーリ・ガーヴィッチ(と読むのではないかと思うがあまり自信はない)はイスラエル出身、この作品が初のリーダー作となる。母国で賞を得て、2003年に渡米しバークリーでジョー・ロヴァーノや故ハーブ・ポメロイらに師事、現在はニューヨークを拠点に活躍中、という典型的な現代ジャズエリートの経歴で、サイドマンとしては来日歴もあるようだ。アルトの音色だけで聞き手を圧倒するというような力強い個性はないものの、嫌味のないすっきりと引き締まった音で、ここぞというところでは熱気のこもったブロウもするし、自分なりの魅力的な語り口を持っている。しかしガーヴィッチに関して特筆すべきはむしろ作曲やアレンジの才で、本作でも1曲めや6曲めのような、ユダヤ音楽ならではのマイナー・メロディとジャズの強力なビートがうまく融合された魅力的な曲をものしているのが注目される。ジェイスン・モランやマーク・ターナーとの共演で知られるキューバ出身のドラマー、フランシスコ・メラや、ゲストとして3曲に参加しているクリス・チークも好演。全体のフォーマットが極めて「ふつうのジャズ」なだけに、今時の、特にメジャー・レーベルから出るようなアメリカ・ジャズの新譜には欠けていることが多い、本物のジャズらしい緊張感と味の濃さが際立つのである。冒頭でも述べたように、「ふつうのジャズ」にも関わらず、TzadikのRadical Jewish Cultureという、ある意味リスナーが限定されてしまうシリーズの一枚として出たのが若干もったいないような気もするが、裏を返せば今ではゾーンの個人レーベルくらいしか、こうしたタイプのジャズを扱えないという悲しい状況を示しているのかもしれない。
それにしても、このガーヴィッチといい、(トランペットの)アヴィシャイ・コーエンといい、最近のイスラエル出身のミュージシャンの層の厚さには驚かされるものがある。彼らが一様に持つある種の芯の強さのようなものが、彼らの母国が現在置かれているハードな状況に由来するものなのか、それとも今時ニューヨークくんだりまで来てジャズで飯を食っていくのに必要なタフさに由来するものか、それは私にはよく分からないけれども、少なくともジャズに緊張感や白熱を求めたい人間としては、今はこのへんが一番聞いていて楽しいのだ。
HMV<http://www.hmv.co.jp/product/detail/3521843>



