まずはこれを聴いて本当の「アフロ・ポリ」の凄さを
体験してみてはいかがでしょう、ジャズファンのみなさま。
アメリカ一のバンジョーの名手、ベラ・フレックがアフリカを訪れ、さまざまな国のミュージシャンたちと共演した、というアルバムなので、まずはアフリカの地図をリンクしておこう。(ただしこの地図の「ザイール」は現在「コンゴ民主共和国」と名称が変わっている)フレックが共演したのは、ウガンダ、マダガスカル、マリ、タンザニア、南アフリカ、ガンビア、セネガル、カメルーンのミュージシャンたち。地図を見ていただけばおわかりのように、西アフリカに位置するマリやセネガル、ガンビア、カメルーンから、大陸南端の南アフリカ、大陸よりさらに東のマダガスカル、大陸東海岸のタンザニア、その北西にある内陸国ウガンダと、ほとんど「アフリカ縦断」の勢いだ。これだけ広い地域なのだから、音楽の特徴はそれぞれに異なっているのだが、共通するのはオーガニックな楽器の音色、ノイズ成分を秘めた歌声、そしてポリリズムに対するごく自然な、しかし西洋音楽からすると実に過激で難解なアプローチだ。
まずはウガンダの女性グループが登場する。素朴なメロディを淡々と歌う独唱と、それにレスポンスするヘテロフォニーのコーラス。フレックのバンジョーは、まるでバンジョーという楽器がウガンダにもともとあったものであるかのような自然さで(バンジョーの起源がアフリカにある、というのは定説ではあるが)、歌の中にとけ込んでいる。
しかししばらくして手拍子が始まると、歌と手拍子がどういう関係で絡んでいるのか分からなくなり、僕はしばし混乱しつつ、その複雑で緊張感あふれるリズムに興奮してしまった。歌とバンジョー・セクションのBPMと手拍子のBPMが違っていて、しかもそれが微妙なバランスで「合って」いるのだ。後半になると歌セクションも手拍子とBPMが同じになり、スウィングっぽい跳ねるノリで演奏が続く。おそらく最初の手拍子は、その後の展開を先取りしているのだろう。
2曲目はマダガスカルのミュージシャンとの共演。「海」を感じさせるおおらかで涼しげでギターにフレックのバンジョーが繊細に絡む演奏だ。ここでもパーカッションがすごいことをやっていて、3拍子の曲構造に対してかしゃかしゃした音の打楽器は普通に細かいビートを刻んでいる上に、手拍子が2拍3連で乗っている。これ、譜面出さないと説明しにくいんだけど、簡単に図示してみましょう。
1● ● 2 ● ● 3 ● ●|1 ● ● 2 ● ● 3● ●|(ギターとバンジョー)
* * * * * * * * * (手拍子)
「1● ●」が1拍と読んでください。
3拍子上での2拍3連って非常に難しくて、最新のポリグルーヴ・ジャズのリズム構造だと言われても信じてしまいそうだ。
4曲目、タンザニアの親指ピアノとヴォーカルの名手、アナニアとフレックのデュオも実にすばらしい。これはリズム的には普通の8分の6だけど、音階を上下するだけのメロディとあたたかい親指ピアノの音、そしてファルセットで実にかわいく歌うアナニアの声(レイ・チャールズみたいな顔のおっさんです)。このナチュラルで無垢な味わいには感動します、ほんと。
まあこうやって1曲ずつ書いていてもきりがないんだけど、ベラ・フレックはアフリカ各地の音楽への深い愛情と敬意をもって彼らの音楽に謙虚に加わり、いかにも「アメリカ的」な改変や強引な我田引水をまったくしていない。
そういう意味で、もっとも「フュージョン的」というか、ウェザー・リポートやザヴィヌル・シンジケートを思わせる6曲目(ベースはリチャード・ボナ)が、実はあまりおもしろくなかったのは皮肉というか象徴的というか…、
個人的にはとにかくどのトラックもリズムがおもしろくて、何度も聴いて「これはどうなってるんだ?」と探究の日々であります。
ポリグルーヴとかアフロ・ポリとかリトミック・モデュレーションとか、この頃のジャズはポリリズム的アプローチが盛んだけど(パフュームもね)、まずはこれを聴いて本当の「アフロ・ポリ」の凄さを体験してみてはいかがでしょう、ジャズファンのみなさま。
なお、アフロ・ポリについては、坪口昌恭氏のサイトにあるこのコーナーがとても参考になります。
ポリティカル・コレクトネスとやらに拘泥したくはないが、
今の自分の皮膚感覚からは掛け離れた世界があるのも確か
ベラ・フレックに関してはブルー・グラスの人気バンジョー奏者という以上のことは知らず、その音楽も聴いたことがない程の門外漢である。このCDは、バンジョーという楽器のルーツがアフリカにあると耳にしたことから、現地の様々なミュージシャン(一口にアフリカ、といっても非常に多様な地域と民族があるわけで)と共演してみたいという彼の願望を実現する過程を描いた映画を撮影するプロジェクトの一環として制作されたものらしい。それだけのインプットでいざ聴いてみた音楽からは、やはり地域・民族によってそれぞれ異なる特色を持つアフリカ音楽のカタログを見るような印象を受けた。日常生活を送る集団の中で自然に唄い継がれてきた歌謡のようなものから欧米のポップスの影響を受けた商業音楽的なものまで、音楽の有り様も様々。異なる地域の出身者たちが一堂に会したセッションまで収録されている。それらはアメリカの黒人音楽にある粘りや重さというものをほとんど感じさせない、軽快なリズムと乾いた質感を一様に持っているのだが、ベラ・フレックのバンジョーはブルーグラスというまったく異なるバック・グラウンドを持ちながら違和感なく寄り添っているのが不思議でもあり流石でもあり。
ただ、ついつい考えてしまうのはこうした試みに向かう音楽家や音楽制作者の姿勢である。結局、この手のものは本人たちに意識されているかいないかは別にして、所詮「植民地主義的な収奪」以外の何物でもないのではないか? という如何にもありがちな反応をしてしまいそうになる部分を悲しいかな私も持っているのだ。だが、そんなことを言い出したらアフリカン・アメリカン音楽を例に出すまでもなく、現代のポピュラー音楽のほぼすべてが否定さるべきものになってしまうだろう。ポリティカル・コレクトネスとやらに拘泥するのではなく、ここから何か新しい魅力的な音楽が生まれてくることを想像するほうが音楽ファンとしては健全に違いない。
普段はエレクトロニクス塗れの音楽に浸されている耳が洗われるかのような、力強い生命力に溢れたオーガニックな響きは何とも清々しく心地良いものだ。とはいうものの、毎日何度も聴きたいという気分には決してなれない自分がいるのも確か。あまりに今の自分の日常生活、皮膚感覚からは掛け離れた世界がそこにあるからだろう。
上から目線でアフリカン・ミュージシャンと接するのでも、
下手に出て彼らに擦り寄っていくわけでもない“対話”だ
ぼくはテレビが大好きだ。子供の頃、とくに楽しみにしていたのが「兼高かおる世界の旅」、「すばらしき世界旅行」、「野生の王国」などの海外ドキュメンタリーである。広大な砂漠やジャングルや果てしない草原をブラウン管ごしに見ながら、いつか自分もこういうところに旅したい、と子供心に思ったものだ。
けっきょく、ぼくはいまだにアフリカにも南米にも行けていない。経済的な事情、時間的問題もあるし、果たして向こうの食べ物や水に適応できるのかという不安もある。予防接種があるのなら、それもいやだ。ぼくは注射がきらいなのだ。だけどいつか絶対、旅しようという気持ちは今もある。
ベラ・フレックも、おそらく小さい頃からアフリカに憧れていたに違いない。アフリカ人ミュージシャンと共演するのなら、別に現地に行かなくても、ヨーロッパやアメリカで活動している(英語もできる)連中と組んだほうが話は円滑に進むはずだ。が、ベラは是が非でもアフリカの土を踏み、空気や太陽を感じながらセッションをしたかった、だから大陸に飛んだのだ、とぼくは思い込んでいる。
ここでベラが繰り広げているのは、“対話”だ。上から目線でアフリカン・ミュージシャンと接するのではなく、かといって下手に出て彼らに擦り寄っていくわけでもない。あくまでも同じ高さでのコミュニケーション。これをアルバムすべてにわたって維持するのは、よほど揺るぎないミュージシャンシップを持っていなければできないと思う。加えて、曲順がよい。(9)から(12)に至る展開は、本作の最盛部に位置するのではないか。
1曲あたりの時間が短めなこと、ブックレット最終ページのデータ・クレジットの文字が小さすぎることには改善の余地があると思うが、とにかくこれは気持ちのいい作品だ。けれど、このアルバムを一番楽しんでいるのはベラ・フレック本人なのだろうなあ・・・・。
バンジョーの音がまるで現地の楽器のように
聴こえてしまう以上のよいアクセントを付けている
レヴューのお題をもらったとき「なんと今度はベラ・フレックですか!」と唸ってしまった。前回のデレク・トラックスはサザン・ロックだったし、今回はブルーグラス界では有名な超絶技巧バンジョー奏者なのだ。バンジョーと聴いて私が最初に思い出すのが、子供の頃、日曜の朝放映されていたアメリカのコメディ・ドラマ「じゃじゃ馬億万長者」のテーマ曲。えらい景気のよいテケテケ・サウンド。(ここで聴けます)
しかし、ベラ・フレックの志した音楽はブルーグラスに留まることができず、フュージョン・バンド『ベラ・フレック&ザ・フレックトーンズ』を結成してしまうのだ。これがアメリカでは、あっという間に人気バンドになってしまった。ベラ・フレックがもらったグラミー賞は8個、ノミネートは20回という凄い人なのだ。
この『ベラ・フレック&ザ・フレックトーンズ』は、フュージョンをベースにブルーグラス、ジャズ、クラシック、ワールド・ミュージックなどの要素を巧みに混ぜ合わせたミクス・カルチャー・サウンドが売り。
日本では、ほとんど話題にもならず、フレックトーンズのエレクトリック・ベース奏者であるヴィクター・ウッテンの方がまだ知られている有り様だ。このお題のCDを探しに渋谷へ行ったときも、HMVにはコーナーすらなく、タワーレコードではブルーグラスの棚にベラ・フレックのコーナーはあるが新作だというのに該当CDは無し。店員に調べてもらうと新宿店にあるというので向かってみるとポップ付きでディスプレイされていた。ポップには「ピーター・バラカン氏がFMでOn-Airして問い合わせ殺到!」という宣伝文句が。さすがピーター・バラカン!
さてこの『Throw Down Your Heart - Africa Sesions』は、ベラ・フレックの個人名義のアルバムであり、サブタイトルにアフリカ・セッションとあるように、ウガンダ、マダガスカル、マリ、タンザニア、南アフリカ、ガンビアのミュージシャンとのセッションを収めたアコースティック・アフリカン・ミュージックのコンピレーション・アルバムのような作りだ。
結論から言うと、とても良いアルバムである。買っても損はしないし、自信を持って薦められる。現地のミュージシャンをメインに据え、ベラ・フラックがサポートするという構成である。このサポートが巧みなのである。バンジョーの音がまるで現地の楽器のように聴こえてしまうほど違和感なく馴染んでおり、また、それ以上に演奏によいアクセントを付けている。現地のミュージシャンの懐が深いのか、ベラ・フラックのセンスがずば抜けているのか。きっと両方なのだろうが。個人的には7曲目のマリのバンドとのインスト曲で聴かれる素朴な響きが好きだ。とにかくアルバム全体に感じる大陸的なサウンドに惹かれてしまう。
アフリカのポップ・ミュージックに関心がある方は、最近刊行された「ポップアフリカ700 アフリカンミュージックディスクガイド」(荻原 和也[著]、アルテスパブリッシング)というディスク・ガイド本の評判がよいのでいかがだろう。私はまだ、未読だが...
面白い、気に入った。しかし、アフリカものにしても
テイストが違いすぎるものが混在している。いったい何?
なんの事前情報も無くトレイにCDを入れ、スタートさせる。面白い、気に入った。しかしそれはジャズの新譜を聴いたときの様に、既知の文脈の中での評価ではない。とは言え、まったく知らない種類の音楽じゃない。アフリカものだ。まあ、「ワールドミュージック」と言えば一番分かりがいいだろう。しかし、聴いているうちに不審の念がわいてきた。悪いって意味じゃない。そうではなくて、アフリカものにしてもちょっとテイストが違いすぎるものが混在している。中には、かなりはっきりアメリカンポップスの影響を受けているトラックまで出てくる有様だ。いったい何なんだ。
そこでライナーを眺めて納得、ベラ・フレックというアメリカのバンジョー奏者が、アフリカ各地のミュージシャンと共演したアルバムなのだった。そこで、ベラ・フレックというミュージシャンのことを調べてみると、その筋ではかなり名の知れた存在で、ブルーグラスの世界では大物だそうである。
と、そこでまた第二の疑問が、、、ブルーグラス? カントリー・ミュージックの親戚じゃないの? ということは、まっ白け、、、ウーン、、、確かに、世間の人が思うほどアフリカン・ミュージックは“黒く”ないとは言え、アメリカ白人音楽の元祖と、どうしてこうまでうまく合っちゃうの? おかしいじゃん。
しかし、こういうのがまさに「主知主義的倒錯」(オオゲサか)ってやつで、ライナー見なけりゃ別になーんのモンダイもなかったハズ。いや、ちょっと違うな。やはり情報は有用だ。文字情報のおかげで、今までなんとなく思い込んでいた先入観に新たなギモン譜が付いたのだ。ジャズファン特有の「白黒問題」である。
今回の「お題」の提出者、村井さんと以前話したこともあるのだけど、「ジャズはそれほど“黒く”ない」だとか、「ジャズの“黒さ”は、幻想の共同体への願望だ」とか「“黒さ”は時代を追うごとに濃さを増す」とか、ジャズファンならではの問題群に対する、一歩進んだ考察である。
つまり、世間的レベルでの白黒モンダイに対する誤解は、いちおう乗り越えていたハズが、やはり“白さ”=白人、“黒さ”=黒人、という、実にわかりやすい“ジョーシキの罠”に落ちちゃっていたんである。
それにバンジョー。誰しも頭に浮かぶのはデキシーランド・ジャズに登場する、この楽器特有のジャカジャカした音色だ。聞くところによると、この楽器はそれほど古くない。比較的近年考案された楽器だ。これがアフリカ各地の音楽とこうもうまくブレンドするとは思わなかった。
もちろん、何の理屈も無く聴いて楽しい音楽なのだけど、そのこととは別に、いろいろ「世界音楽」というものについて考えさせられるアルバムであった。やはり、人さまの選んだ音楽を聴いてみることは面白い。



