column / コラム
back number
2010.08.31

林 建紀のハーレム五十七士 vol.50

モダン・ジャズ|イースト・コースト・ジャズ    ミルト・ヒントン:Milt Hinton(b)当時48歳

 ミルト・ヒントンの活動歴は70年に及ぶ。超える者がいるのか即座に思い当たらない。しかも、何十年も活動していないのに女優を名乗り続ける某国の老嬢たちとちがって生涯現役を貫いた。その活動がスウィング期で終わっていたとしてもジャズ・ベース史に名を残す大物だが、モダン期に参加した夥しい録音を通じて一般のファンにも知られている。モダン派への転身に成功したことを含めて、この世代には希なことだ。手持ちのイースト・コースト・ジャズや中間派の諸作を手にとれば、多かれ少なかれその名を見出せるだろう。またハンク・ジョーンズ(p)、バリー・ガルブレイス(g)、オシー・ジョンソン(ds)と組んだクァルテットは「ザ・リズム・セクション」の名を欲しいままにした。それ以上に、新しいファンに存在を知らしめたのはブランフォード・マルサリス(ts)のピアノレス・トリオ作『トリオ・ジーピー』(1988年1月/コロンビア)だろう。77歳ものオールド・ベースマンが見せたフレキシビリティと豪腕には多くのファンが感嘆したにちがいない。一般のファンがヒントンに抱くイメージは同作で形成されたと言っていいのではないか。

 1910年6月23日、ミルトン・ジョン・ヒントン:Milton John Hintonとしてミシシッピ州ヴィックスバーグに生まれる。奇しくもハンクと同郷だ。11歳でシカゴに移り、13歳でヴァイオリンを始め、高校~短大でベース・ホーン、チューバ、チェロ、ベースを学ぶ。当時の黒人で高等音楽教育を受けた者は希だ。1920年代の終わりにプロ入り、フレディ・ケパード、ジャボ・スミス(tp)、タイニー・パラム(p)、エディ・サウス(vln)ほかと共演した。1936年にキャブ・キャロウェイ楽団に入団し、40年前後の全盛期から衰退期の51年までその屋台骨を務める。退団後はジョー・ブッシュキン(p)とクラブに出演し、カウント・ベイシー楽団やルイ・アームストロング(tp)のオールスターズ(1953年7月‐54年2月)に在籍したが、退団するとCBSのスタジオ・ミュージシャンに転身した。黒人第一号で、譜面に強く録音のメカに詳しかったことが買われたのだ。以降はジャズに限らず無数の録音に参加、1970年代以降は中間派を中心に多くの録音に参加しつつ各地のジャズ祭にも出演、最晩年まで第一線にあった。2000年12月19日、ニューヨークで逝去。

 参加録音は未発表を含め5500曲を超える。音楽界全体でも一、二を争うのではないか。ハンクに倣って表にした。数値は曲数、(  )内はリーダーおよびコ・リーダー録音だ。

 ModernSwingVocalPops...total
comboorch.comboorch.comboorch.inst.vocal
1930s  54946   154
1940s  87
(12)
247   2336
(12)
1950s594
(10)
236
(4)
718281221198911822521
(14)
1960s135196312
(4)
129166116801321266
(4)
1970s63
(8)
14395
(15)
1049 1170612
(23)
1980s37
(2)
10278
(50)
1030 929403
(52)
1990s48
(8)
3128
(18)
 59  8246
(26)
total877
(28)
459
(4)
1972
(99)
7715313141914235538
(131)

 録音歴は1930年に始まる。最多はスウィング~中間派(49.5%)だがモダン(24%)とジャズ・ヴォーカル(15.3%)もかなりある。編成面ではハンクと同様にビッグバンドやオーケストラが少なくない。ポップスの大編成と合わせると全体の3分の1近くに及ぶ。1930~40年代は名門のキャロウェイ楽団に在籍していたことが、50~60年代はスタジオ・ミュージシャンだったことが効いている。それにしても1950年代は凄まじい。連日参加や同日の掛け持ちもまま見られた。ジャズ不況に見舞われた1960年代に録音は半減するが、それでも並みのジャズマンの一生分はある。当然のことながら、ポップスはそれほど落ち込んでいない。それまでの録音数がハンパじゃないので、70年以降は録音が激減したかのように映るが、これとて並みのジャズマンの及ぶところではないし、還暦を過ぎた年齢に照らせばなおのことだ。1970年代以降は中間派コンボをメーンに活動したことがわかる。もはやスウィング・ビッグバンドの時代ではなかったし、様変わりしたモダン・ジャズにオールド・ベースマンが活躍できる機会は乏しかったのだろう。順を追って見ていこう。

 初録音は1930年11月、タイニー・パラム楽団のビクター・セッションだ。存在が確認できたのは1曲で、スラップ・ベースが部分的に聴こえる。3曲では識別できず、4曲はチューバと聴いた。同月のセッション(同)でも1曲はチューバと見られ、2曲では所在不明だ。2年後、エディ・サウスの放送音源(1933年1-3月/セロニ)の2曲でも安否不明だが、あとの3曲(5月/ビクター)では4ビートの、4曲(6月/同)では2&4ビートのスラップ奏法が聴きとれる。パーカッシヴな奏法だから聴こえただけで、とくに言うこともない。このあとにキャロウェイ楽団での録音が続く。公式録音(1936年5月‐39年11月/ブランズウィック、ヴァラエティ、ヴォカリオン)では概ねアンサンブルに埋没、存在が確認できるのはやはりスラップ奏法のときだ。比較的クリアなものに《マンハッタン・ジャム》(1937年3月/ヴァラエティ)、《ビューグル・ブルース》(12月/以下ヴォカリオン)、《ミスター・パガニーニ、スウィング・フォー・ミニー》(38年8月)と、ベース史に残るスラップ・ソロをとった《プラッキン・ザ・ベース》(39年8月)がある。

 同時期にヒントンはスウィング期を代表するテディ・ウィルソン(p)のオールスター・セッション(1936年10月・38年11月・39年1月/ブランズウィック)と、ライオネル・ハンプトン(vib)のオールスター・セッション(39年4月・6月・9月/ビクター)に参加している。比較的時代の新しいコンボ編成とあって少しは聴きとれるかと思ったが、期待外れだった。キャロウェイ楽団の同僚でコールマン・ホーキンス派の三羽烏の一人、チュー・ベリー(ts)のリーダー・セッション(1937年9月/コロンビア他)でも同様だ。レーベルや編成の違いにかかわらず一貫して聴きとれない。意地悪な疑念が湧いてくる。そもそも音量が小さく音圧が低いのではないかと。これではスタイルの変遷を追うことは覚束ない。わずかに聴けるスラップ奏法はニューオリンズ伝来のコーニーな奏法とあってその役に立たないのだ。それが歴史的な演奏であったとしても、このまま聴こえもしない録音を並べたてても意味はない。このあとは多少ともヒントンが識別できた演奏を中心に見ていくことにする。もちろん、それらが必ずしも好演や快演ということにはならないが。

 1940年代に移る。キャロウェイ楽団の公式録音(40年3月‐49年9月/ヴォカリオン、オーケー、コロンビア、Vディスク、ビクター)は30年代と大差ないが、ウォーキングと見られるもの(40年5月‐41年3月/オーケー)が数例、そうと特定できるもの(47年2月・5月/コロンビア)が数例あった。前者は判然としないが、後者と録音バランスの違いが幸いした実況放送録音(1944年8月‐47年初め)に聴くドライなトーンと高音域の多用はバップ・ベースの影響と見られる。同時期にソロをとったものにランニングによる《バイ・バイ・ブルース》(1940年6月/以下オーケー)と、アルコとピチカートによる《エボニー・シルエット》(41年1月)がある。全編ヒントンをフィーチャーした後者は革命児ジミー・ブラントン出現の余波というべきだが、ベース史上の名演にちがいない。同時期ならコンボ演奏のほうが資料的には有用だ。クリアとまではいかないが、どうにか聴きとれる。1944年6月の「キーノーターズ」・セッション(キーノート)を皮切りに、ヒントンはキャロウェイ楽団の同僚が率いた中間派セッションに数多く参加していく。

 比較的聴きとりやすいのは前述したキーノーターズ名義、エメット・ベリー(tp)名義(8月/ナショナル)、ウォルター・トーマス(ts)名義(10月/ジョー・デイヴィス)、アイク・ケベック(ts)名義(45年4月・46年9月/ブルーノート)くらいで、ほかではまるで聴きとれないか、自己名義(45年7月/キーノート)ですらかなり聴きとりづらい。前段でも述べたが、前者に共通するのはドライなトーンとファスト・テンポでの高音域の多用だ。スタイルとしてはバップの影響を受けた進歩的なスウィンガーといったところ。肝心の出来だが、注目すべきものはなかった。1930年代から40年代の演奏を追ってきたわけだが、ジャズ・ベース史を、スウィング期を代表する巨人という定評は実感しづらい。それは、第一に拙劣な録音以上に音量の乏しさとタッチの弱さに、第二にビートの供給を旨とする姿勢に由来するのでは。また後者の眼目は正確なタイムと音程のキープにあり、演奏をグイグイ推進することに向けられていないように思う。実際、ヒントンが参加した演奏では「走る」ことなどまず見られないのだ。こうした見立てが見当違いならいいが。

 1950年にはキャロウェイ・セクステットの5曲(9月/放送録音)しかない。この前年、かつての名門もコンボへの縮小を余儀なくされていた。退団した1951年に録音はない。1952年にはB~C級の中間派セッション、初期R&B、ブルース・シンガーの歌伴が並ぶ。資料面でも演奏面でも、これでは見るべきものはない。糊口を凌いでいたという印象だ。1953年に移って、ベン・ウェブスター(ts)のエマーシー・セッションでは一拍の長音化(ボン、ボンからボーン、ボーンへ)、中低音域主体といったモダン化が窺える。前後してヒントンはモダン・クラリネットの二大巨頭、バディ・デフランコとトニー・スコットのセッションに参加、モダンへの進出を果たす。これらではそうしたモダン化は見られず、それまでのスタイルで通している。バピッシュなコンセプトに合わせたのかもしれない。なかではスコットのライヴ・セッション(2月/ブランズウィック、『イン・ハイ・ファイ』収録)と、デフランコの『ミスター・クラリネット』(4月/ノーグラン)が一聴に値する。前者の全4曲と後者の1曲に聴くロング・ソロはオスカー・ペティフォードに近いようだ。

 1954年、ヒントンはスタジオに職を得て、やがて膨大な録音を残すことになる。多くは演奏の実態が判然としないか月並みだ。ここでは実態の知れる出来のいいものに絞ろう。中間派ではルー・スタイン(p)の『ハウス・ホップ』(1954年8月/エピック)で上々の好演が、レックス・スチュワート(cor)とクーティ・ウィリアムス(tp)の競演盤『ザ・ビッグ・チャレンジ』(1957年4月・5月/ジャズトーン)でまずまずの好演が聴ける。低重心か
つ的確な音選びが好ましく、高音域を多用した後者も音は重く耳障りではない。モダン系に移って、リーダー作『イースト・コースト・ジャズ・シリーズ第5集:ミルト・ヒントン』(1955年1月/ベツレヘム)はトニー・スコット・クァルテットの名義貸しだ。ここでもオスカー似のバップ・ベースで通している。《ピック・ン・ナット》と名演の再演《エボニー・シルエット》は生涯屈指のソロだろう。好盤どまりだが一聴の価値はある。ハンク、ガルブレイス、オシーと共演したなかでは『ザ・リズム・セクション』(1956年4月・5月/エピック)が上々だ。やはりバップ流だが弦より胴が鳴っていて好ましい。

 最良のものはジョージ・ラッセル(comp)の『ジャズ・ワークショップ』(1956年3月・10月/以下RCA)だ。重く低く、対位法的な音選びも申し分ない。ラッセルも関わったハル・マクシック(as)の『ジャズ・ワークショップ』(1956年3月・4月/RCA)も、実態はつかみづらいが似た節がある。ほかでこれほどモダンな奏法は見かけないだけに、書かれたものと見るべきかも。確かに、当時の写真では彼らは常に譜面を前にしている。少しあとのラッセルの『ジャズ・イン・ザ・スペース・エイジ』(1959年12月・60年1月、デッカ)でも同様で、それゆえ好ましい。2500曲余りを残した1950年代だが、どうにか薦められるのは上記にとどまった。前述した意地悪な見立てが当たりそうで妙に寂しい。多くを聴いてヴァーサタリティぶりはよくわかった。ジャズの新旧に応じて奏法を変え、○○一本槍ではない。ディキシーではスタッカート調、主要3和音の分散、高音域を多用、中間派とバップではスタッカート調、ウォーキング(スケールの順次進行)、高音域を多用、よりモダンな楽想ではレガート調、ウォーキング、低音域を主体にするといった按配だ。

 1960年代、ジャズ不況に照らせば仕事量は上々だが、質的にはお寒いかぎりだ。ジョー・ジョーンズ(ds)と渡り合った『パーカッション・アンド・ベース』(同年5月/エヴェレスト)は大奮闘盤だが退屈でもある。インタープレイなるものは両者には向かなかったのだろう。及第点はタイリー・グレン(tb, vib)の『アット・ザ・ロンドン・ハウス』(1961年/ルーレット)、ハンプトンの『ユー・ベター・ノウ・イット』(64年10月/インパルス)、ジョニー・ホッジス(as)の『トリプル・プレイ』(67年1月/RCA)あたりだ。

 1970年代に入ると新興レーベル、キアロスキュロ(ディキシー・中間派)、フェイマス・ドア(中間派・モダン)が設立され、ヒントンも活躍の場を得る。とくに後者ではハウス・ベーシストとして数多くのセッションに参加した。それと好演や快演の発生率が比例するわけではないが。なかでは、ビル・ワトラス(tb)の『ボーン・ストレート・アヘッド』(1972年12月・73年1月/以下フェイマス・ドア)が準快演だった。ドライなトーンに中高音域主体など、奏法は旧式だが、珍しく躍動感がある。《レスター・レープス・イン》《スナフ》のソロは立派なものだ。ズート・シムズ(ts, ss)の人気盤『ズート・アット・イーズ』(1973年5月・8月)は水準どまりだと思う。1975年の半ばからトーンに変化が見られるようになる。板バネを弾いたような金属音で、弦は鳴っても胴は鳴っていない。時に65歳、体力の衰えからブースターでも導入したのか? ベースの魅力を欠いた悪しき変貌だと思う。ハンクと組んだ『ザ・トリオ』(1977年10月/キアロスキュロ)は悪例の最たるものだ。ハンクがいいだけに惜しい。やがて月並みな演奏が支配的になっていく。

 1980年代も例のトーンに変化はない。そんななかではラルフ・サットン(p)の『パートナーズ・イン・クライム』(1983年8月/アヴァンギャルド)が中低音域主体の奏法で好ましかった。1988年1月、奇跡(失礼!)が起きる。ヒントンはブランフォード・マルサリス(ts)のピアノレス・トリオ作『トリオ・ジーピー』(コロンビア)のセッションに招かれた。これほどヒントンの実態をとらえた録音はない。実によく聴こえるばかりか、トーンはそのままに胴が鳴り、音選びは的確、さらにいつになく演奏を推進する力がある。ブランフォードとジェフ・ワッツ(ds)の力量もあって、冗長に堕しかねないトリオ作が緊張と寛ぎが見事に均衡した傑作に仕上がった。半数でロング・ソロが聴けるが、目玉はスラップ・ベースによる《スリー・リトル・ワーズ》だ。その気迫には古いなんて寝言は一蹴されよう。礼を尽くして御大を招き、実力を遺憾なく発揮させたブランフォードには頭が下がる。そんなわけで好漢リッキー・フォード(ts)の『マンハッタン・ブルース』(1989年3月/キャンディド)にも少なからず期待したが、こちらは水準にとどまった。

 このあとヒントンは、デュオからセプテットまで様々な編成による2枚組『オールド・マン・タイム』(1989年3月‐90年3月/キアロスキュロ)をものしている。ディジー・ガレスピー(tp)ほかのキャロウェイ楽団時代の同僚、長らく共演を重ねてきたラルフ・サットンやハンプトン、当時組んでいたトリオのデレク・スミス(p)など、新旧の仲間を招いた「音楽自叙伝」とも言える一作だ。ブースター・ライクなトーンに変わりはないし音量も音圧も低いが、半数は準快演ないし快演、残りも水準と言えよう。和気藹々とした好セッションが並ぶなかではディジーとのクァルテットが最上で、これに次いではスミスとのトリオ、ダニー・バーカー(g)とのデュオがよかった。《ミルツ・ラップ》を筆頭に5曲で披露するスラップ・ソロも力感に溢れて立派だ。大作に見えて、13分は仲間との、43分は単独の昔話になっている。同時期ではマリアン・マクパートランド(p)の『ピアノ・ジャズ』(1991年8月/ジャズ・アライアンス)もかなりいい。味わい深い逸品だ。このあとは聴きとりづらさが進行、出来もせいぜい水準どまりで見るべきものはない。

 65年にも及ぶ膨大な録音を追ってきたが、ジャズ・ベース史上の巨人どころか、名手を実感させるものすら数少なかった。前述した、音量と音圧が低く、タイムと音程の正確なキープを旨とし、演奏の推進に意を払っていないのではないかという見たてを撤回するに至らない。そうした正確性と堅実さが白人イースト・コースト・ジャズや無数のスタジオ・セッションに合ったのだろう。逆にドライヴ感やグルーヴ感のなさがハードバッパーにはお呼びじゃなかったとしても無理はない。推薦した『オールド・マン・タイム』に22人のベーシストが賛辞を寄せている。その顔ぶれが興味深い。大向こうを唸らせる一枚看板と呼べるのはリチャード・デイヴィス、チャーリー・ヘイデン、エディ・ゴメスあたりで、あとはビル・クロウをはじめ、地味で堅実なリズムマンばかりなのだ。思うに、ジャズ・ベース史上の巨人なる定評は間近でプレイに接した(それなら聴こえる)ベーシストにより作られたのではないか。異口同音に称賛される正確なタイム感覚や音程、美しい音色はワザにすぎまい。その正確性から“ザ・ジャッジ”と呼ばれたが、音楽でジャッジすべきかと思う。

 推薦盤は何の迷いもなくブランフォードの『トリオ・ジーピー』(コロンビア)に決定だ。膨大かつその多くが役に立たない録音を聴き進むうちに、そうなりそうな予感はあった。勘ぐりが当たって、安堵とも落胆ともつかない妙な心持ちだ。これに次いではリーダー作『オールド・マン・タイム』(キアロスキュロ)がいいだろう。文中で評価したサイドマン録音や参加作については「絶対に!」というほどのものでもない。それぞれのリーダーの代表作として聴くついでにヒントンのプレイにも耳を傾けていただければ十分だと思う。

 録音数の最多はスタジオ稼業2年目の1956年で、55年が続く。「その時」の1958年は50年代の3位だ。ヒントンにとっても“最も”多忙な時期だったかどうかはわからない。まあ400曲を超えているから多忙だったにちがいない。この年に目ぼしいものはないが、「その時」に前後して参加した名盤にミシェル・ルグラン(arr)の『ルグラン・ジャズ』(6月/フィリップス)、ラッセルの『ニューヨーク、N.Y.』(9月/デッカ)がある。7月にはマクパートランドと組んでニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに出演した。
 「その時」は前列右端、カウント・ベイシー(p)の後ろでセロニアス・モンク(p)の右側に立っている。恰幅はともかく、大男ではない。予想外の非豪腕はそのせいか。「その時」、写真家としても高名なヒントンはムービーを携え、自らも集合写真撮影の一部始終を記録する一方で、スコーヴィル・ブラウン(reed)にも録らせた。36年後、映像は記録映画『ハーレムの素晴らしき1日』で甦りジャズ・ファンを狂喜させることになる。相変わらず意地の悪い言い方だが、こればかりは文句なしの偉業と言っていいだろう。

A Great Day in Harlem

back number
2010.08.11

益子博之のニューヨーク放浪記 2010年6月編 vol.14

wandering & wondering in upper east side - part 14

7:00pm at Arthur's Tavern, 57 Grove Street, NYC
Eri Yamamoto Trio
Eri Yamamoto - piano; Aidan Carrol - bass; Ikuo Takeuchi - drums.
(no cover/2 drink minimum per set)


山本恵理さんとは1年振り。ちょっとブルージーでフォーク・タッチのオリジナルが続く。相当疲れが溜まっているようで、また眠り転けてしまう。山本さんにまで「お疲れですね」と言われる始末。「最近の日本はどうですか?」と訊かれたので、政権が安定しないやら、経済が回復しないやら、ライヴ・ハウスにも人が入らないやらと暗い世相の中、サッカー日本代表が下馬評とは裏腹に決勝トーナメント進出を決めたことは唯一の明るいニュース等とどうということのない世間話に花を咲かせる。NYでも空きテナントが多いですよねと言うと、こちらでは空き家になっても家賃を下げないので入居者が無いままになってしまうのだそう。

9時30分に間に合うように戻ると、偶然トイレで原田和典氏と鉢合わせ。少し押し気味らしい。昼間と同様、前から2列目やや右側に席を取る。ステージでは老齢の白人ピアニストのソロ演奏が続いていた。ほぼ定刻に終了したが、珍しい楽器編成のためかセット・チェンジに手間取っているようだ。


9:45pm at Abrons Arts Center, 466 Grand Street, NYC
Vision Festival XV :
Ned Rothenberg's SYNC
Ned Rothenberg - clarinet, bass clarinet, alto sax; Jerome Harris - bass guitar; Samir Chatterjee - tabla.
($25 cover per evening/no drink or food
)

ジェローム・ハリスは、サミル・チャテジーのタブラに合わせてインド音楽的なフレーズを只管反復しているが、ネッド・ローゼンバーグのほうは、テーマにしろアドリブにしろインド音楽の影響をあまり感じさせない演奏だ。循環呼吸を始め、圧倒的なテクニックを見せ付けられるものの、永遠に続くような反復性のリズムに睡魔を呼び起こされ、中盤にまたもや眠り転けてしまった。クラリネット、アルト、そしてベース・クラリネットと次々に楽器を持ち替えて、持ち時間の1時間を大幅にオーヴァーして終了。またもや楽器編成が変わるので、セット・チェンジに時間が掛かっている。


11:10pm at Vision Festival XV :
Mark Helias' OPEN LOOSE
Tony Malaby - tenor & soprano saxes; Mark Helias - bass; Tom Rainey - drums.


このトリオを聴くのはだいぶ久しぶりになる。新曲中心だが、手の込んだ現代音楽っぽい楽曲が多く、即興パートも少なめ。短時間でテンションを高める集中力は流石だが後がつかえているので、あまり盛り上がらないうちに50分程度で呆気なく演奏終了。かなり消化不良な感じが残る。2階席の原田夫妻のところに寄って、次のチャールズ・ゲイル・ベース・クワイアを聴くのかどうかを尋ねる。さっき以上にセット・チェンジに掛かりそうな気配なので、結局今日はこれで退散することに。

ホテルに直行の夫妻とデランシー・ストリート駅で別れ、イースト・ハウストン・ストリートまで北上、アレン・ストリート角のシュガー・カフェで夜食という名の朝食メニューをオーダー。バナナとイチゴ添えワッフル、全体がヒタヒタになるくらいメープル・シロップを掛ける。我ながらどうかしていると思う。ホテルに戻り、これから風呂を済ませて、帰国の準備に。8時前には宿を離れたいところだ。疲れと眠気と肩の痛みで現実感の稀薄さに拍車が掛かっている。


2010年6月27日(日)

帰国便のチェック・インはネットで既に済ませていたので、少しはのんびり眠れそうだと思っていたのだが結局は寝付けず、6時頃から荷造りを始める。予想外に土産物が嵩張り、パッキングにかなり手間取ってしまった。7時に部屋を出ようとすると丁度管理人が起きてきた。滞在中のお礼を伝えて2アヴェヌーの交差点まで来ると、上手い具合にタクシーが停まっている。この黒人の爺さんが飛ばす、飛ばす。あっという間にウェスト・サイドに出るとミッド・タウンまで下り、リンカーン・トンネルを通過、7時50分にはニューアーク・リバティ国際空港ターミナルCに到着してしまった。料金は71ドルあまり、ダウンタウンから乗った場合とほとんど変わらない安さ。チップをはずんで90ドル払うと大喜びだった。

搭乗手続きは8時スタート、特に問題もなくスムーズにことは運ぶ。搭乗ゲートも一昨年までと同じ場所に戻っている。朝食を済ませ、ミネラル・ウォーターを購入すると残金は20ドルとちょっと。残ったお土産購入に足りるだろうか? 空港内の売店は割高なのだ。ここでカードを使うのも癪だし。彷徨き周った末に17.99ドルのヤンキースTシャツを発見、ホッと胸を撫で下ろす。さて、日本では大量に溜まった仕事が待っているはずだ。果たしてここまでして本当に来るべきだったのだろうか? 今更考えても仕方のない問いが頭の中を渦巻いていた。

<おしまい>
back number
2010.08.11

益子博之のニューヨーク放浪記 2010年6月編 vol.13

wandering & wondering in upper east side - part 13

2010年6月26日(土)

とうとう最終日。午後からヴィジョン・フェストに入り浸りになるので、昼頃まで寝ているつもりだったが、6時頃には目が醒めてしまい腹も減ってきたので、今回まだ一度しか行っていないBo Kyでご飯物を食べることにする。部屋を出たのは8時。今日も朝から涼しめの陽気。幸い今週末は6トレインが止まっていない。豚足、豚耳、臓物等の入ったmixed meat on riceを注文。今日まるまる一日カメラ無しというのは痛いと改めて考える。100ドルくらいなら買っちゃうか? 壊れたカメラは2年前に型落ち直前の安売りで手に入れたフジフィルム製。それでも2万円くらいはしたのではないか。レンズが突出しない目立たないデザインで、手ブレ防止機能が付いていればと選んだ代物。

77ストリート駅で一旦降り、レキシントン・アヴェヌー沿いの電気屋を覗いてみるとキャノンやニコンでも100ドル前後のものがある。昨日、バッテリーを買った店、Best Buyならどうだろう。こっちのほうが少し高めか。と、フジフィルムの新しいデザインが目に留まる。150ドル。操作系が同じなのは勿論、バッテリーやSDカードがそのまま使えるほうが今の環境なら良いだろう。それに壊れたヤツより安いくらいだし。現金が残り少ないので、クレジット・カードで購入。昨日、この判断をしていれば......後悔先に立たず。近くのスターバックスで早速開封。バッテリーは前の物がそのまま使える。慣れたものであっという間にセッティングできてしまう。これでなんとか一安心というわけだ。

ヴィジョン・フェストのメイン会場はロワー・イースト・サイドの行ったことのない場所なので、余裕を見て出発する。昼頃になると流石に陽射しが強烈だ。Fトレイン、デランシー・ストリート駅から南下、グランド・ストリートを左折するとドーナツ・プラント本店が見える。何故か甘い物が食べたくなってきたので寄ってみる。表の黒板には日本語の表示まで。想像以上に小さな店だ。そのまま東進し、ピット・ストリートを越えるとアブロンズ・アート・センターはすぐに見つかった。写真が撮り易いように前から2列目やや右側に席を取る。



2:00pm Abrons Arts Center, 466 Grand Street, NYC
Vision Festival XV :
R & E
Areni Agbabian - voice; Tony Malaby - tenor & soprano saxes; Qasim Naqvi - drums.
($15 cover per afternoon/no drink or food)


アルメニア系の女性ヴォーカリスト/インプロヴァイザーがトニー・マラビーと共演するというので興味を惹かれたプログラム。アレニ・アグバビアンは、やはり中央アジア系の顔立ちに見える。ディジタル・ディレイを適宜用いながら、如何にも民族歌謡らしい歌唱もそれなりにはあるのだが、呻き声や息を吸いながら発する声等、単純に器楽的とは謂いかねる発声法/歌唱法を多用。対するマラビーもジャズ的なフレーズはほとんど用いずに、小鳥のさえずりのような音から、声を発しながら強烈に歪ませる音まで、多彩なサウンドで彼女に拮抗する。

ジャズ的なアプローチから離れるだけでなく、こうして異分野の音楽家とも積極的に共演を重ね、そこから成果を得ているとは、また少し彼のイメージを修正しなければならないようだ。1時間毎に出演者が代わるプログラムなので、50分程であっさり終了。もっとやっても良かったのに。次に出てきたのは、全く名前も知らない白人四人組。


3:00pm at Vision Festival XV :
Lorenzo Sanguedolce Quartet
Lorenzo Sanguedolce - tenor sax; David Arner - piano; François Grillot - bass; Todd Capp - drums.


リーダーのテナーは若いが、後の三人はかなり歳が行っている。典型的な所謂フリー・ジャズ。退屈な所為だけでなく、だいぶ疲れが溜まっていたようで、思わず眠り転けてしまう。気が付くと演奏が終わるところで、やんやの喝采を受けている。身内が多いのだろうか?


4:00pm at Vision Festival XV :
GO-ZEE-LAH
Kyoko Kitamura - voice, laptop; Yayoi Ikawa - piano; Harris Eisenstadt - drums.


こちらは、NY生まれ、東京育ち、ジャーナリストとして湾岸戦争の取材経験ありという変り種で、スティーヴ・コールマン『Lucidarium』(Label Bleu)にも参加していた女性ヴォーカル・インプロヴァイザー、キョウコ・キタムラと、タイション・ソーリーを含むトリオのCDで日本でも話題になった東京出身のピアニスト、ヤヨイ・イカワのプロジェクト。「とうりゃんせ」「おちゃらかおちゃらかおちゃらかほい」「ずいずいずっころばし」といった日本の民謡や童歌をモチーフにオリジナル曲を交えて凝った編曲を施し、即興パートも盛り込んだ手の込んだ楽曲。イカワはフリー・フォームも含めてジャズ・ピアノらしい演奏を展開するが、ダイナミックなエネルギーを感じさせるには奈何せんパワー不足の印象は否めない。

一方、キタムラは、全体としてはかなりジャジーなヴォーカル・スタイルを披露しながら、ナレーションのようなパートがあったり、唐突に所謂ヴォイス・パフォーマンスを挿入したりする。ラップトップからはラジオの日本語講座を編集した音源を流し、それに合わせて語ったり歌ったりするといった具合で即興性はあまり感じられず、どちらかというと演劇的な性格の強いパフォーマンス。観客にはそれなりに受けていたが、エキゾチシズムを刺激するあざとさと不自然さが感じられてどうも戴けない。

外に出るとだいぶ曇っている。夜の部まではまだ間があるので、程近いチャイナタウンはWanton Gardenでロースト・ダック載せヌードルを食べ、ダウンタウン・ミュージック・ギャラリーで暇潰し。CDの在庫はディスク・ユニオンのほうが充実していると思うが、入手困難なものが不意に見つかったりするから侮れない。まだ、時間があるのでグリニッチ・ヴィレッジに移動する。パラパラと雨が降ってきた。
back number
2010.08.08

益子博之のニューヨーク放浪記 2010年6月編 vol.12

wandering & wondering in upper east side - part 12

2010年6月25日(金)

早いもので残すところ後2日。毎日、予定をこなすことに汲々としているので、休暇を過ごしているという気分が全然しない。現実感が稀薄な原因はその辺りにもあるのかもしれない。身体中が少し痛むが9時頃には起き出し、先ずは腹拵え。86ストリートのViand Coffee Shopで"West Side"という朝食セット、ベルギー・ワッフルにソーセージ、トマト・ジュース、コーヒーをチョイス。野菜や果物は付かないが、メープル・シロップとバターをベタベタに塗して何だか仇でも取ったような気分。アップタウンには昔ながらのアメリカンなダイナーしか見当たらないが、ダウンタウンに増えてきたヘルシーで小洒落た店は出来ないものだろうか?

今日の天気予報では最高気温29℃。日向の陽射しは強いが湿気が少なく、日陰なら風が涼しいくらいで快適だ。ずっとこれくらいなら良かったのに。そのまま86ストリートをセントラル・パークまで西進、クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館で"National Design Triennial: Why Design Now?"を観る。基本的にはアートよりもデザインのほうが性に合っているので、毎回ここに来ることにしている。Energy, Health, Communicationといったテーマ別の展示。60年代には既にiPadのようなデヴァイスが考案されていた。

続いてグッゲンハイム美術館。改装されたお陰で見た目は綺麗になったようだが、1階のカフェが高級レストランに替わって敷居が高くなり、3階に移設されたカフェは席も少なくメニューも貧弱に。学芸員というより警備員の人数も格段に増え、すっかり居心地の良い雰囲気は失われてしまった。クリスチャン・マークレイによるアナログ・レコードをトレースする針先をアップで映し出したヴィデオと、別の抽象画が1点ずつ展示されていて吃驚。

次は、ホイットニー美術館のつもりだったが、金曜日は開館時間が午後1時なのをうっかり忘れていた。6トレインでグランド・セントラル駅まで下り、移転して場所がわからなくなっていたフィフス・アヴェヌー・ショコラティエで会社全員用のお土産を購入。野球関連グッズは空港内のショップで間に合うから、お土産は一旦終了だ。これで今日の午後と明日の午前中はフリーになったわけだが、何かしたい、何かしようという元気はあまり湧いて来ない。

横になってもなかなか寝付けないままだったが、いつの間にか爆睡していた様子。ふと気付いて寝過ごしたのではないかと飛び起きる。時計は6時45分。泡を喰って外に飛び出す。ジャズ・スタンダードには7時25分、開演5分前に到着できたのだが、何故かカメラが動かない。もしかしてレンズ・カヴァーが開きっ放し? 電池切れ? これの次の予定が今日の本命だ。カメラ無しでは不味いではないか。慌てて今来た道を引き返し、充電を試みる。充電器にバッテリーを差し込むと、すぐに充電中を示す赤いLEDが消えてしまう。バッテリーがお釈迦なのだ。運良く居合わせた管理人に近所の電気屋を教えてもらう。

場所はレキシントン・アヴェヌー/86ストリートの北西角、いつも利用している地下鉄の入り口のあるところ。店員にこれと同じタイプのバッテリーはあるかと訊くとしばらくして見つかる。型番上は問題ないはず。再び部屋に戻って充電開始、すぐにLEDが消えることもない。20分が待てる限度。カメラに入れてみると......やはり動かない。万事休す。カメラ本体が壊れているのか。今回の渡航を含む諸々に強烈なダメ出しを喰らったような気分になる。あぁ、何だか、とても、最悪。


9:20pm & 10:45pm at Cornelia Street Cafe, 29 Cornelia Street, NYC
Tony Malaby/Paul Motian/Angelica Sanchez/Ben Monder
Tony Malaby - tenor & soprano saxes; Ben Monder - electric guitar; Angelica Sanchez - piano; Paul Motian - drums.
($20 cover/$7 minimum per set)

(C)Yuko Zama
(C)Yuko Zama
(C)Yuko Zama
既に演奏は始まっている。ほぼ満席に近い。店員に待機を命じられ、しばらくすると客席中ほどの空席に案内される。振り向くと右隣に座間裕子さんが座っていた。楽曲はすべてこのバンドのための新曲のようだ。ポール・モティアンは、いつものようにゆったりシンバル・レガートしていたかと思うと、突然流れを堰き止めたり、それまでの流れとは全く異なる譜割で叩き出したりと、直線的な時間の流れに揺さぶりを掛け続ける。ベン・モンダーとアンジェリカ・サンチェスは、バッキングと呼ぶにはあまりにも異様な演奏で、大きく小さく、高く低く、速く遅く、そして激しく繊細に、まるで波が大きくうねりを上げたかと思うと、飛沫を撒き散らしながら砕け散り、やがてさざ波へと収束していくような、空間的な揺らぎを表現しているかのよう。一方、トニー・マラビーはテーマとなる単純な旋律を繰り返しているうち、微細な、あるいは大胆な音色の変化に集中していく。

個々人の演奏自体は、従来の個性の枠内に収まるものなのだが、それが一体化することによって聴いたことのない音楽へと変貌を遂げる。ファースト・セットは30分ほどで終了した。満杯の観客が三々五々退出していく。座間さんは10年振りの再会となるベン・モンダーに捉まり、すっかり話し込んでいる。バンド・スタンド近くの席を確保しつつ、解放された座間さんに遅刻の非礼を詫びる。座間さんは10年前よりジャズ寄りの演奏に変わっていて驚いたと仰るが、僕に言わせればここ数年で観る度にジャズ的な演奏からは遠のいて行くように感じられる。ただ、モティアンの存在が否応なくジャズ的な匂いをもたらしているのは間違いない。

ジャズ・スタンダードに行きそびれたので食事をオーダー、ほうれん草と洋梨のサラダに3種のチーズ・プレート。座間さんからマイケル・ピサロのCDを受け取り、ここ数日の話など。しばらくして座間さんが中座すると、入れ違いにエリアスを連れたジム・ブラックが隣の席にやってきた。昨夜もここに来て君達の演奏を聴いたよ。「それはありがとう」実はここにユウコ・ザマが座っているんだけど。「何だって? そんなクレイジーなことがあって良いのか?」戻ってきた座間さんと一頻り旧交を温めている。7月には、ジェニー・シェインマンのバンド(ネルズ・クライン/トッド・シッカフース)でヴィレッジ・ヴァンガードに出演すると言う。

休憩時間がかなり長い。1時間近く経った10時45分に演奏再開。ベン・モンダーやアンジーのパートを聴いているとどうやらファースト・セットと同じセット・リストのようなのだが、演奏の表情はまるで違う。目立った違いとしては、ほとんど無かったアンジーのソロ・パートらしきものがだいぶ増えたこと。演奏時間も長めで1時間を軽くオーヴァー、更に1曲を追加して終演となった。あぁ、これは何なんだろう。言葉にできない。

ジムにアンジー、ベンと順に別れを告げて店を出る。座間さんはニュー・ジャージー在住なのだが、30分に1本くらいは電車が走っているそう。シェリダン・スクエア方面の彼女とは反対方向なので、ここでお別れだ。気が抜けたのか、無駄に走り回った疲れが今になってドッと出て来た。明日もギリギリまで起きられないだろう。
back number
2010.08.08

益子博之のニューヨーク放浪記 2010年6月編 vol.11

wandering & wondering in upper east side - part 11

コーネリア・ストリートの前に行列は無かった。だが、中に入ると開場を待つ人が7、8人はいる。開場時間になると特に予約の確認もせずに階段の近くにいる人から中に入れ始めた。幸い僕は4人目に入場、定席に近い右側の前から3列目に陣取る。先ずは腹拵え、オーガニック・グリーンズというサラダにモロッコ風フムス・プレート。フムスというのはアラブやユダヤ料理では定番の豆のペーストで、薄焼きのピタ・パンに塗ったり挟んだりして食すもの。客席がガラガラではないかとちょっと心配になったが、最終的には30人ほど集まったようだ。



9:00pm & 10:10pm at Cornelia Street Cafe, 29 Cornelia Street, NYC
Jim Black Trio
Chris Speed - tenor sax, clarinet; Elias Stemeseder - piano; Jim Black - drums.
($10 cover/$7 minimum per set)


ジム・ブラックがここに登場するのはかなり珍しい。去年辺りからNYでの演奏機会が増えているとともに、ヒューマン・フィールやパチョーラ、イェー・ノウの活動を続々再開するなど、彼の中で過去を振り返りながら、同時に何か新しい取り組みをしようという意思が芽生えてきているのではなかろうか。ウェブサイトには60〜90年代のジャズにインスパイアされたオリジナルを演奏すると書かれている。実際には、80〜90年代に作曲された古めの彼らのオリジナルに、モンクの曲や「All The Things You Are」を交えたレパートリーだった。ジムにとってはある種の「ジャズ回帰」的な意図が含まれているのだろう。

クリス・スピードのあのくすんでひしゃげてヨレているテナーの鈍い音色が、うら寂しいというか物悲しい雰囲気を漂わせるジム・ブラックらしいメロディを奏でる。時に小柄な体躯に似つかわしくないパワフルな低音を響かせながら。一方、オーストリア出身の20代のピアニスト、エリアス(とジムは紹介した)はなかなか力強いタッチで安定したピアニズムを聞かせる。テンポ・ルバートになる場面が多く、そうした時にはかなり音数が増えるタイプだが、しっかりツボは心得ていてなんでもかんでも弾き捲くるという訳ではない。

そして、ジム・ブラック。所謂フリー・ジャズらしくルバートになる場面が多々あっても、徐々にジャズ・ドラムらしさからは程遠い強いアタックでイン・テンポに持ち込んでいく。例え4ビートであっても、ドラムン・ベースやグリッチ的なつんのめるようなリズム感を常に背後に隠し持っていて、ここぞという場面で噴出させてくる。

バンドとしてのコンビネーションはまだまだこれからという面もあるが、90年代後半〜00年代初頭くらいのアプローチに若手を加えることで、旧メンバーでの活動再開とは別の成熟のさせ方を狙っているのではないだろうか? 短めの休憩を挟んで、50分程度の短めのセットを2本。ちょっとあっさりし過ぎという気もしないではないが、CDで耳にすることが出来る最近の彼らの音楽とはかなり異なる方向性を十分確認することが出来た。

すぐに次の予定へ移動。スモールズの階段を降りると一部で有名な猫が椅子をひとつ占領している。まさにセカンド・セットが始まる瞬間だった。


11:00pm at Smalls, 183 West 10th Street, NYC
Sunny Jain Collective
Donny McCaslin - tenor sax; Nir Felder - electric guitar; Gary Wang - bass; Sunny Jain - drums.
($20 cover/1 drink minimum per set)


インディ・レーベル、Brooklyn Jazz Undergroudに所属するサニー・ジェインはプンジャビ地方出身の両親の下に生まれたインド系移民二世。だが、その音楽はエスニックな背景をほとんど感じさせない、現代NYジャズのアヴェレージを示すものだった。ギターのニル・フェルダーはグレッグ・オズビーのバンドにも参加している若手。あまり流麗とは言い難いフィンガリングだが、ジャズ・ギタリストには珍しいストラトキャスターで、ほとんどアウトはしないもののなかなかアグレッシヴな演奏を聞かせる。テナーのドニー・マカスリンはゲストのようで、自分の入る場所を何度も確認していたが、ソロになればお構いなしの吹き捲くり振りだ。

1曲15分程度の長めの演奏。最後の4曲目では遂にインド風のメロディが全開になり、ドラム・ソロでは手でスネアを叩き、完全にタブラのフレーズを繰り出していた。やはりこう来るのかとちょっと残念な気もしたが、自分の民族や文化的背景をストレートに表出することは、民族的な出自が多様化を極める現代NYジャズのひとつの潮流には違いないわけで、何となく食傷気味で面白くない等というのは聴き手側の勝手な言い分に過ぎない。

ドニーに軽く挨拶。日本はどうなの? と訊くので、景気が悪いから仕事はダメだねと言うと、NYも同じさと答える。今夜は何故か地下鉄の乗り継ぎが良く、スムーズに部屋に帰り着くことが出来た。2アヴェヌー/86ストリートの角にある24時間営業ダイナー、Viand Coffee Shop of 86 Steetのほうが昨夜寄った店より小奇麗でメニューも豊富に見える。こっちにして置けば良かったと少しばかり後悔の念に囚われた。
連載タイトル一覧
General
disc review
live review