column / コラム
2009.08.17

おおしまゆたかのアイリッシュ・スイングを求めて 〜アイリッシュ・ミュージックにジャズを探る〜 vol.06

Coolfin

Donal Lunny's COOLFIN, 1998

Ray Fean: drums
Roy Dodds: percussion
Graham Henderson: keyboards
Fionn O Lochlainn: bass
John McSherry: uillean pipes, whistles
Nollaig Casey: fiddle, viola
Mairead Nesbitt: fiddle
Donal Lunny: bouzouki, guitar, bodhran bass

Guest Players
Sharon Shannon: accordion
Maire Breatnach: fiddle [03]
Se/an Smyth: fiddle [03]

Guest Singers
Eddi Reader [02]
Marta Sebestye/n [05]
Maighread Ni/ Dhomnaill [07, 11]
Triona Ni/ Dhomnaill [07, 11]

Jean Butler: Step Dancing [01, 06]

Produced by Donal Lunny
Recorded & Mixed by Tim Martin
Tracks 7 & 11 mixed by Stuart Bruce
Recorded at Real World Records, Bath, England; Westland Studios, Dublin; Digital Pigeon, Dublin & Soundtracks, New York

* "i/" のように、人名のアルファベットの後にスラッシュが付いているのは、その前のアルファベットにアクセント記号が付くという意味です。アクセント記号付きのアルファベットが表示できない場合の表記法です。アイルランド語式のスペルを採用している人の名前では、アクセント記号付きアルファベットが使われます。




 10年前のリリースですが、このアルバムに集めたバンドでドーナルはその後様々な活動を続けています。そもそもアイリッシュのミュージシャンはその活動に比べてアルバム、録音のリリースが少なすぎるのが普通です。この点は他のルーツ・ミュージックも共通するところで、こちらから見ると、むしろジャズの録音リリースの多さが特異な現象ともみえます。

 とはいえドーナル・ラニィ名義のアルバムはアイリッシュの基準に照らしても、その活動に比べて少なすぎることは確かで、かれの録音はバンドの一員やプロデューサー兼サポート・ミュージシャンのしてのものがほとんどです。こうして自らの名を冠したバンドには、ベストのメンバーを集めたという自負がうかがわれます。

 問題はこうした大所帯のバンドを恒久的に支えられるだけのマーケットがアイルランド国内にはないことです。国外のフェスティヴァルからの招待や、資金が豊富な政府関連の場での活動がメインになります。例えばゴルフのライダー・カップがアイルランドで開催された際の開会式や、文化交流のためのニュージーランド遠征などです。 ニュージーランドではマオリの伝統音楽家たちと共演し、こうした体験豊富なドーナルにしても強烈な体験だったそうです。ちなみにライダー・カップは、かつてのヨットのアメリカズ・カップに相当する男子プロゴルフの欧米対抗戦で、この開会式は大統領臨席の国家行事でした。アメリカ側のキャプテンを努めたタイガー・ウッズが、がちがちに緊張していた姿が印象的でした。

 録音の内容はうたと器楽(チューン)の混成で、全12曲中4曲がうた、残りが器楽。うたと器楽の混成という形は70年代以降のアイルランドのバンドによる録音の定型です。シンガーがおらず、レパートリィにうたがまったくないバンドは、モダン・アイリッシュ・ミュージックでは新しい現象、1990年代以降の現象です。ターニング・ポイントになったのはルナサですが、この話はまた別の機会に。

 うたと器楽の混成の型はアイルランドのみならず、スコットランドやウェールズなどの「後発国」にも広がりますが、元をただせばイングランドのフェアポート・コンヴェンションのアルバム《LIEGE & LIEF》 (1969) といえるでしょう。ただ、イングランドではスティーライ・スパンなどこの型を採用するのはごく少数に留まります。混成型がほとんど不文律にまでなるのは、アイルランドをはじめケルト系の地域です。

 こうなった理由のひとつはアイルランドやケルト圏の音楽伝統にあってはうたと器楽がほぼ拮抗する比率で行われてきたからでしょう。近年、アイルランドでは伝統音楽がかつてなく盛んになるにつれて、器楽演奏がうたを圧倒するようになってきました。このことは『聴いて学ぶアイルランド音楽』にも書かれています。ですが、伝統音楽にあってはうたが基本にあることは、伝統音楽にたずさわる者にとっては暗黙の了解であると思われます。表面上忘れられているようにみえても、無意識の底では、うたのない伝統音楽はありえないと、誰もが承知しているけしきです。

 このアルバムの目的はアイリッシュ・ミュージック、アイルランド伝統音楽の最先端のひとつの姿、それも総合的な姿を提示することでした。すなわちドーナル・ラニィの考える、現在可能なかぎり最も新しく、最も大胆な音楽を提示することです。また「世界音楽」として、他のジャンル、地域の音楽とも共通の土俵で肩をならべられるものをつくりだす試みでもありました。ドラム・キット、エレクトリック・ベース、キーボードによるリズム・セクションの採用は、「共通の土俵」にあがるためです。フロントのフィドル、イルン・パイプ、アコーディオンはアイルランド音楽を代表し、特徴づけるメロディ楽器です。この両者をドーナルのブズーキが結びつけて生まれたものは、「フュージョン」とも呼べる音楽です。

 最新にして最前衛たる姿はまず器楽曲に現れます。8曲の器楽曲のうち6曲がドーナルのオリジナル、もう1曲がメンバーでフィドラーのナリグ・ケイシー Nollaig Casey の作曲です。このどれもが、アイルランドの伝統曲の音階、構造、メロディ・ラインの癖は厳密に踏襲しながら、あらゆる機会をとらえてそのルールないしコードをわざと踏みはずしていきます。

 たとえば〈Butlers〉。アイルランドの器楽曲の圧倒的大部分を占めるダンス・チューンは8小節がメロディの単位です。8小節でひと塊のメロディが完結します。この曲では、メロディが8小節の枠をはみでます。曲構造の対称性が破れ、不安定になる。そこに新たな推進力が生まれてきます。

 同時に、この曲の不安定さから生まれるおもしろさから、従来伝統音楽で演奏されてきた曲がいかに「安定」したものであったか、逆照射されます。伝統音楽に働く安定化の作用があぶりだされるのです。

 アイリッシュ・ミュージックのダンス・チューンの役割は何よりもまずダンスの伴奏です。したがってダンスを乱す要素は洗いながされてきました。それが1970年代以降、ダンス・チューンがダンス伴奏からは独立して、真剣なリスニングの対象となってきます。そこからはじまった展開の行きついたひとつの姿が〈Butlers〉です。

 〈Kickdancer〉ではジャズばりのアドリブをパイプが披露します。ナリグ・ケイシーの曲〈The Mouseskin Shoe & Dancing In Allihies〉では、ブズーキとバゥロンが互い違いにビートをきざみます。

 こうした「踏みはずし」ないし「脱構築」を、ドーナル・ラニィはこのアルバムでアイリッシュ・ミュージックに対して仕掛けたのでした。アイリッシュ・ミュージックが拠って立っている枠組みの有効性を一度疑い、あえて一部をはずして、同時代音楽あるいは未来の音楽として作りかえてみる。ここでドーナルはこの試みを計画的におこなっています。

 考えてみれば、プランクシティによる出発以来、かれはそれ以外のことはしていない、とも言えます。ただ、これほど明確な意図のもと、大胆に、思いきって踏みこんだ試みをしたのはこのアルバムが初めてです。自分が考えたこと、やりたいことを実際の音楽として実現することが可能なメンバーを初めて揃えることができたのでしょう。参加している全員がいわば一騎当千の名手ですが、とりわけイルン・パイプのジョン・マクシェリィ John McSherry と、ドラムのレイ・フィン Ray Fean が光ります。かれのドラムを聞くためだけにでも、このアルバムは聞く価値があるといっても言いすぎにはなりますまい。

 これを要するに、ここまでアイリッシュ・ミュージックも成熟したのでした。

 うたについてはどうでしょうか。

 うたは器楽曲ほど融通がききません。伝統の慣性がはるかに大きいのです。使われている言語の束縛もあります。また、これも『聴いて学ぶアイルランド音楽』にあるように、伝統歌謡は本来はうたの内容や背景を十分理解している聴衆に向かってうたわれます。メロディは比較的シンプルで短く、詞にも繰り返しが多い。リフレインにはうたい手の記憶を助ける機能もあります。無理に脱構築しようとすると、壊れてしまう、伝統からも完全にはずれ、また音楽としてもつまらないものになりかねません。

 ドーナルはうたのアルバムのプロデュースも数多く手がけており、その中には傑作もたくさんあります。伝統歌を、伝統とのつながりが薄い現代の人びとに魅力的に聞かせるための工夫を重ねてきています。ここでも、それぞれのうたで伝統からうまれる魅力を、モダンな音楽として質の高いものに転換しています。〈Moldavian Triptych〉にたっては素材はマジャール(ハンガリー)の伝統歌謡ですから、いわば二重の措置がほどこされている力業(トゥル・ド・フォース)といえるでしょう。

 うたの脱構築の手法のひとつはリズムの強調です。アイルランドの音楽伝統ではうたは無伴奏でうたわれてきました。ですから、英語のうたもアイルランド語のうたも、自由リズムで、つまりうたい手が自由にリズムもテンポも変えながらうたわれるのが原則です。現代のリスナーは規則正しく刻まれるビートに慣らされています。そこでドーナルは、ヴォーカルがうたっている間の伴奏はリズムを強調し、明確なメロディを奏でないようにしました。自身のブズーキとパーカッションがつくる空間にヴォーカルが浮かびあがる形。

 〈False fly〉は幼ない頃のイエスが起こす奇蹟をうたったアイルランドならではのうた。形は同じコーラスをくりかえす典型的なバラッドで、リフを奏でるドーナルのブズーキとシンセサイザーの幕だけの伴奏でうたいだします。やがてパーカッションがひとつふたつと加わり、それぞれに異なる拍を刻みます。間奏ではフィドルがうたのメロディとはかけ離れた、ミニマルなフレーズを奏でるので、さらに変化がつき、単調さが消されます。

 一方で〈Siu/il A Ru/in〉は自由リズムのままでうたわれます。バックは文字通りアンビエントな背景を提供します。無伴奏と伴奏のあいだをつなぐもうひとつの形です。これはアイルランド語の印象的な響きと劇的な旋律の組合せを活かす工夫でしょう。

 このうたは実は英語のヴァースとアイルランド語のコーラスからなります。ふたつの言語が交互にうたわれるこうした形は「マカロニック」と呼ばれます。食べ物の「マカロニ」と同じ語源で、元は「あざなえる(縄)」の意味。ちなみにこのうたはイングランドとの戦いに破れて大陸に渡った恋人の兵士に想いをはせる女性のうたですが、アメリカに輸入されて完全に英語化され、〈虹に消えた恋〉としてピーター、ポール&マリーが大ヒットさせました。


 《クールフィン》はいわばドーナル・ラニィが手兵を率いてアイリッシュ・ミュージックの本丸に殴りこみをかけた成果です。これはドーナルとしては極めてめずらしい姿勢です。もっともここでも、先頭に立って駆けるのではなく、実際の演奏は各メンバーの高い能力にまかせています。無理矢理にたとえれば、上杉謙信型ではなく、武田信玄型でしょう。

 ですが、ドーナルの本来の資質は指揮官よりは参謀です。あるいは首相ではなく官房長官。そしてかれの資質が最も輝くのは、個性のうえでも、技量のうえでも、そしてキャリアのうえでも、かれと肩をならべられる器量の仲間たちと少人数のグループで活動するときです。プランクシティもボシィ・バンドもそうですが、その形でかれが行きついたのがモザイク Mozaik です。次回はドーナルを含めて5人からなるこの「スーパーグループ」を聴いてみます。
2009.08.17

おおしまゆたかのアイリッシュ・スイングを求めて 〜アイリッシュ・ミュージックにジャズを探る〜 vol.05

「プランクシティ革命」

 先日実家に預けてある本を整理していたら、昔読みふけった植草甚一の全集が出てきました。映画や本についてのものは人にあげてしまいましたが、ジャズ関連のものは残してぼちぼち読んでいます。刊行当時はどの本も2、3日で読了する勢いで読んでいるにもかかわらず、そこで論じられているジャズを聞こうという気にはまったくならなかったのでした。これはいまだに不思議です。

 いろいろと発見もあります。たとえば、スキャットの起源はアイルランドだという話。チャールズ・マッケイなる人が1877年刊行の『西ヨーロッパ言語のゲール語源』の中で、「古代ゲール族の合唱やドルーイド教徒の歌にスキャットの起源がみられるといっていますし、古代イギリスの詩歌にも、この影響がみられる」云々。ちなみに『植草甚一スクラップ・ブック』第12巻「モダン・ジャズのたのしみ」収録の「バップという言葉の研究をちょっと」に出てきます(105pp.)。初出は『ダウンビート』1961年5月号。

  「古代ゲール族の合唱やドルーイド教徒の歌」といわれても、なにせ録音もないのでその実態はよくわかりません。が、推測するに、アイルランド語で "Port-a-be/al*(ポータビール)スコティッシュ・ゲール語で "Puirt-a-Beul(プールシュチピア)"、英語では一般に「マウス・ミュージック」と呼ばれるもののことかその祖先のひとつではないかと思われます。これは早い話が口三味線で、ダンス伴奏を人間がうたううたでおこなうものです。貧乏で使える楽器がなかったり、たまたま楽器奏者がいなかったりするときに、楽器のかわりに口三味線でダンス・チューンを演奏するわけです。歌詞がある場合もありますが、リズムのキープや、聞いていておもしろくするために、響きや調子の良い言葉をつないでいるので、詞として意味は通らない、ナンセンスなものが多いです。また、スキャットのように、ことばではない音だけでダンス・チューンを演奏することもあり、こちらは「リルティング」と呼ばれたりします。

* "i/" のように、人名のアルファベットの後にスラッシュが付いているのは、その前のアルファベットにアクセント記号が付くという意味です。アクセント記号付きのアルファベットが表示できない場合の表記法です。アイルランド語式のスペルを採用している人の名前では、アクセント記号付きアルファベットが使われます。

 人間がうたうのではなく、楽器のかわりに声で曲を演奏するかたちは、ジャズやアイルランドにかぎらず、世界中にあるそうで、そういう演奏の録音を集めたアンソロジーもあります。一方で、植草甚一が上記のような話をもちだすにあたって、アイルランド音楽を聞いていたとも思えません。それだけに、植草の言及はまったく唐突で、不思議です。ひょっとするとジャズとアイルランド音楽は、実は見えない赤い糸でつながっているともかぎらない。少なくともなんらかの縁がある。特定の分野のことがらについては異様に鋭敏な感覚を持つ植草のような人がその縁に感応した、というのはやはり妄想でしょうか。

 そんな風に感じたのも、植草とジャズの関係はぼくらとアイルランド音楽の関係に似ている、と読んでいるうちに気がついたからです。植草がジャズに夢中になるのは1950年代後半ですが、バップによるモダン・ジャズの誕生から10年たったくらい。これはぼくの想像ですが、ジャズが短期間のうちにぐわわーと大きく変わってゆく、ひじょうに活気に満ちた時期。人によっては「黄金時代」と呼ぶ。ただ盛んというだけでなくて、新しいものが次々に現われてくる、他の時代にはない輝きが「黄金」に見える。その活気に植草のアンテナが反応したのでしょう。余談ですが、50年代はアメリカの生んだもうひとつの文化であるSF、サイエンス・フィクションにとっても「黄金時代」でした。

 ジャズのそうした盛り上がりに感応して植草がジャズに入った時には、モダン・ジャズが生まれた際の噴煙は晴れきっておらず、ジャズの世界もごく狭いものだったでしょう。つまり、その気になればほぼリアルタイムに近い形でモダン・ジャズの誕生を、雰囲気まで含めて、追体験することも可能だったでしょう。実際に植草は急速にジャズに親しみ、また「勉強」して、モダン・ジャズをその誕生から追いかけなおしています。

 ぼくらがアイルランド音楽に夢中になりだしたのはその20年後、1970年代後半です。やはりその10年くらい前から動きだしていたアイルランド音楽復興の気運が、ロック世代の参入で一気に高まり加速し、「プランクシティ革命」と呼ばれる現象が起きた、その直後にあたります。この革命はジャズにおける「バップ」に相当する、と言いたいところですが、順番から言えば、バップに相当する現象はその少し前、60年代後半に起きていた、と見るべきでしょう。これを担ったのはダブリナーズとチーフテンズです。このあたりについては、いずれあらためて触れたいと思いますが、とりあえず固有名詞を頭の隅に置いておいていただければと存じます。

 ぼくらがアイルランド音楽の存在に気づき、引きこまれるように聞きだした時期も、モダン・アイリッシュ・ミュージックが動きだしたその当初からまだ日が浅く、アイルランド音楽の規模もごく小さく、その気になれば淵源にまで遡って追いかけなおすことが可能でした。もっとも、情報を得ること自体が、ジャズとは比べものにならないほど難しいものでもありましたから、まったくの手探り状態がしばらく続いたものです。

 当時のアイルランドはまだヨーロッパ最貧国の一角であり、われわれの眼からすると、その手前にあるグレート・ブリテンが巨大な壁となって、アイルランドはまったく隠されていました。アイルランド音楽がアイルランドの産物であることすら、その頃はよくわかっていなかったのです。早い話、ぼくらは植草甚一とは天の時も地の利もまったく違っていたわけですが、ただ植草のジャズをめぐる初期の文章におおいに親近感を抱いたのは、成り立ちも性格も違いながら、ふたつのジャンルの展開のしかたにつながるものを感じたからであります。

 卑見ではジャズは世界で最初に成功したワールド・ミュージックであり、アイルランド音楽も含めたヨーロッパ各地の伝統音楽のモダンな展開、さらにはアフリカやアジアから後に勃興してくるいわゆるワールド・ミュージックの展開は、皆、基本的にはジャズの展開をなぞってゆくのではないか。

 さて、「プランクシティ革命」はアイルランド音楽にとってはクール・ジャズからハード・バップへの転換に相当する、とみて良いと思いますが、ここに真の意味での「モダン・アイリッシュ・ミュージック」と呼ばれるべきものが誕生します。そして70年代後半はこの新しいアイルランド伝統音楽が急速に展開、拡大、変化していった時期でした。その盛り上りの反響が、遥か東のはずれにいたぼくらの耳にも伝わってきたのです。

  「プランクシティ革命」はもとよりひとりの人間の業ではなく、プランクシティ Planxty というバンドと、これに続いて現われた、ボシィ・バンド The Bothy Band とデ・ダナン De Danann というふたつのバンド、そしてその周囲の人びとの活動を中心に進行した、集団によるものでした。「革命」というのも後からふりかえって、そう呼ぶことが実態にふさわしいとみえるもので、当時実際に担った人びとがなにか特定のイデオロギーを基に、明確な目標をもって推進したものではありません。それでも、これも後から見れば、「言いだしっぺ」の役、「切り込み隊長」役など、役割分担されていたようにもみえます。

 ドーナル・ラニィはこの三つのバンドのすべてに関わって、全体の方向性を定め、推進する役割を担当しています。むろん、かれにしても天下布武の深謀遠慮があったわけではありません。自分にとっておもしろい、興味の惹かれる方向を追求していった結果、気がついてみたらそうなっていたので、これもジャズにおける様々な「革命」と同じでしょう。

 ドーナルはまずプランクシティの創設メンバーとしてアイルランド音楽の新しい演奏形態開発の一角を担います。次にボシィ・バンドに移って、バンドの性格を「ロック・バンド」に一変させてその後のアイリッシュ・バンドの祖型を作ります。そしてデ・ダナンのデビュー・アルバムのプロデュースを担当して、バンドの誕生に産婆役を果し、「モダン」が意味するものの幅をふくらませました。

 これを要するにマイルス・デイヴィスの動きに重なる、とやはり言えると思います。これらの業績の内実についてはいずれくわしく見てみますが、今回はそこから始まったドーナル・ラニィ流アイルランド音楽のひとつの完成形を聴いてみましょう。アイルランド音楽にとってのエレクトリック・マイルスの行きついたところ、アルバムで言えば《DARK MAGUS》 ないし《ANOTHER UNITY》 と呼べるものです。
2009.05.08

おおしまゆたかのアイリッシュ・スイングを求めて 〜アイリッシュ・ミュージックにジャズを探る〜 vol.04

ドーナル・ラニィ

 アイリッシュ・ミュージックの最先端の形のひとつとして、パイプ、フィドル、ブズーキのトリオによるオールドタイムの曲をとりあげました。今回はこれを演奏している3人のミュージシャンを紹介します。

 この3人は全員出自が違います。マイケル・マクゴールドリックはイングランドのマンチェスター生まれ。ブルース・モルスキィはニューヨーク出身。ただ一人のアイルランド・ネイティヴがドーナル・ラニィ。伝統音楽にとってどこの生まれかということは決定的とまではいきませんが、他のジャンル、タイプの音楽よりも遥かに重要です。

 マイケル・マクゴールドリックが生まれたマンチェスターには大きなアイリッシュ・コミュニティがあります。つまりアイルランドからの移民やその子孫が集まっています。そこではアイルランドでの生活様式、人間関係ができるかぎり保存されます。音楽においても伝統音楽が演奏され、楽しまれます。マイクもこの共同体のなかで伝統音楽に親しんで育ちました。かれはパイプだけでなく、フルートでも名手であり、またホィッスルもよくします。ホィッスルは裏穴の無いリコーダーです。ジャズでもサックスとフルートの両方の達人がいますが、アイリッシュでもこの三つのどれかに親しむ人は他の二つも手にとるケースが普通です。

 ですからマイクはほとんどアイリッシュ・ネイティヴと言ってもよいのですが、やはりアイルランド本土出身者とは違うところがあります。イングランドにおけるアイリッシュ・コミュニティではアイルランドの各地から人が集まってきています。アイルランドの各地方はそれぞれ異なるスタイルやレパートリィを持っています。極端に言えばアイルランドの各都市、各州がそれぞれにニューオーリンズであるわけです。そうした様々な土地の出身者が1カ所に集まるわけですから、そこで行なわれる伝統音楽はローカル色が混淆した形のものが生まれてきます。その中で育ったマイクの音楽は、ですからアイルランド本土には見られない性格が備わっています。どこがどう違うのだ、というのはなかなか微妙なところがあるのですが、あえて簡単にまとめれば、良く言えばダイナミック、悪く言えば大袈裟、でしょう。このオールドタイムの演奏には、かれの良いところが出ています。なお、この3人のなかでは最年少です。

Michael McGoldrick
http://www.prideofmanchester.com/music/michaelmcgoldrick.htm

 ブルース・モルスキィはニューヨーク生まれ。ポーランド系ユダヤ移民の息子です。もとはブルーズに親しんでいたところに、コーネル大学在学中にオールドタイムと出会って以後はオールドタイム一筋。アパラチアの古老を訪ねあるき、直接伝統を吸収しました。今ではシンガー、フィドラー、バンジョー奏者の第一人者として自他共に認めるところです。かれもまた、一流の伝統音楽家の例にもれず、他の音楽伝統との交流に積極的です。

Bruce Molsky
http://www.brucemolsky.com/

 そしてドーナル・ラニィ。他の2人はどうしてもということであれば忘れていただいてもやむをえませんが、この人の名前はどうか記憶に刻みこんでください。ブズーキをアイリッシュ楽器にした張本人ですが、プレーヤーとしてだけでなく、プロデューサー、アレンジャー、作曲家、バンド・リーダーとしても傑出した存在です。「アイリッシュ・ミュージックのクィンシー・ジョーンズ」と呼ばれたこともありますが、アイリッシュ・ミュージック現代化に果たしたドーナルの役割、存在感からいえば、デューク・エリントンとマイルス・デイヴィスを足したものに相当すると言っても言い過ぎにはなりません。1947年生まれで、1960年代に音楽活動を始めていますから、どちらかといえばマイルスに近いでしょうか。

 現代アイルランド音楽にとっては、チーフテンズのリーダーでパイパーのパディ・モローニの方が果たした役割は大きいのではないか。そうおっしゃる方もおられるかもしれません。アイルランド音楽の存在を世界に知らしめた点では、モローニの方がより広い層の人びとに訴えたことは確かです。ですが、アイルランド音楽のこんにちの姿をつくりだした点、そして、アイルランド音楽の魅力をより深く伝えている点では、ドーナルの方が遥かに大きい。

 たとえば、モローニ率いるチーフテンズ自体の音楽スタイルは1960年代半ばの結成当初から変っていません。ドーナルはアイルランドの伝統の外のものを積極的に吸収し、常にアイルランド音楽を革新してきました。その関心、応用の対象も広く、ロックからラテン、ジャズ、アフリカやアラブの音楽、さらにはクラシックにまでおよびます。しかも表面的なフュージョンに流れず、アイルランドの音楽伝統の芯に融合し、これを強化拡大することを志向しています。

 また、ドーナルが関ってきた様々なバンドやプロジェクトの音楽に接してアイルランド音楽に積極的に親しむようになったり、あるいはさらに進んで自分自身の足下の伝統に向きあうようになった人びとが世界中に多数います。ひと言で言えば、モローニの影響は静的であり、ドーナルの影響は動的なのです。

 これからアイルランド音楽を聞こうというとき、ドーナル・ラニィの名前はひとつの判断基準になります。かれが関っているなら、その録音は聴く価値があります。ドーナルの名前がどこかに入っている録音、音源は一定の、それも比較的高い水準をつねにクリアしています。たいていはアイルランド音楽として最高水準の音楽を聴かせてくれます。しかも多くはその時々の、最先端の音楽です。スペインやデンマークなど、アイルランド以外での関りも深く、さらには最近は日本での仕事も増えていますが、ドーナルの名前の入った録音を追いかけてゆくことは、現代アイルランド音楽の「王道」をたどることに最も近いものとも言えます。

 というわけで、この連載ではドーナル・ラニィの足跡を追うかたちで、アイリッシュ・ミュージックを聴いていこうと思います。
2009.05.08

おおしまゆたかのアイリッシュ・スイングを求めて 〜アイリッシュ・ミュージックにジャズを探る〜 vol.03

アイルランド音楽演奏の性格

 演奏はパイプとフィドルがユニゾンでメロディを奏で、これをブズーキがバックアップします。ジャズではふつうここから各楽器がたがいにソロをとりあい、即興を展開します。アイリッシュでは提示されたテーマが延々とくり返されます。短いメロディが何度もくり返されるのです。

 ジャズの即興がテーマを展開し、解体し、より広く「外側」へ向かうのに対して、アイリッシュではこのくり返しの「内部」で即興がおこなわれます。すなわちくり返しは単に同じメロディを何度も奏でるのではありません。毎回微妙に変わっています。むしろ、まったく同じにくり返すことは無いのです。

 メロディ自体は比較的シンプルで、この変化はメインのメロディに装飾的に音を加えることでおこなわれます。メイン・メロディの音の前後に音を加えることもあれば、音の長さを変えることもあります。音を加える場合には、同じ音程の音を加えることもあり、より高い音、より低い音を加えることもあります。メロディが複雑に聴こえるとすれば、それはこの装飾音によるものです。

 加えて、異なる楽器がユニゾンで演奏することで、音色の変化が出ます。また、楽器によって次の音に移るときの変わりかたも異なります。同じメロディを奏でることで、楽器の違いが強調されるわけです。

 一方のリズム・セクションはどうでしょうか。アイルランド音楽のダンス・チューンでは、リズムは曲自体、メロディ自体に含まれています。ですから、メロディ楽器だけの組合せで演奏することもふつうにおこなわれます。また、装飾音の原理からご想像がつくように、リズムやテンポは微妙に伸び縮みし、常に一定というわけではありません。ここがまたおもしろいのでありますが、こうなってくるとなかにはリズム・セクションは不要だという人も出てまいります。

 ですからリズム・セクションの役割はリズムやテンポをキープすることではありません。主な役割はむしろメロディに対する間の手をはさむことになります。つまり、メロディへの変化のつけ方を提案し、あるいは変化を先取りする、またつけられた変化をふさわしく受けることでこれを誉めたたえ、さらなる変化をうながすことになります。

 ところで、この三つの楽器がここで奏でているのは、実はアイルランド原産の曲ではありません。「オールドタイム」と呼ばれるジャンルの楽曲です。ひとことでいえばアメリカはアパラチア地方のダンス・チューンです。アパラチアではアイルランド、スコットランドからの移民がもちこんだ音楽をベースに、アフリカからの移民の音楽、これはすでに他の音楽と交配して変化していたものですが、これらが交配し、独自の音楽が発展してきています。アイルランド音楽からみれば、曲の構造やメロディ・ラインにはなつかしいところもあるものの、フレージングやノリにはエキゾティックなものが感じられます。長いこと遠く離れてたがいに音信不通になっている、そんな親戚でありました。

 オールドタイムはカントリー・ミュージックや、ボブ・ディランをはじめとするモダン・フォークの成立に大きな影響をあたえながら、「古い」音楽として後景にしりぞいていた時期があります。が、これまた近年大いに復活し、注目を集め、演奏者の数も増えています。

 ふだんつきあいのなかったいとこ同士がそれぞれにひとかどの存在に成長して名をあげることで、おたがい生きていたかと手をとりあった、という姿でありましょう。

 ここで演奏されているオールドタイムの曲も、繰り返しの内部での微妙な変化を即興でおこない、リズムはメロディに内包されている点で、アイリッシュと構造は同じです。ですからアイリッシュと同様な楽器編成、スタイルで演奏できるわけですが、そのメロディの個性はかなり違います。慣れてくれば、一発でこれは違うとわかります。エキゾティシズムとは、本来おさまるべきところからはずれることで生まれる美、と言えるでありましょうが、アイリッシュの編成で演奏されるオールドタイムの楽しさはまさにエキゾティシズムの極みであります。祖先を同じくするだけに、さらに一層違いがきわだち、美しく響きます。

 そしてこの形、アイリッシュの編成でオールドタイムを演奏する形は、アイリッシュ・ミュージックで今一番新しい形でもあります。オールドタイムを奏でるイルン・パイプの録音は、小生の知るかぎり初めてのはずです。ふだんとは違う、しかし同じくらいおもしろいメロディを奏でる、その楽しさがびんびん伝わってきます。

 先にアイルランド音楽は自他を区別したがると申しあげました。区別したがることは他を排除することとは直接はつながりません。むしろここでは区別した上で、これを積極的にとりこむ傾向が強いのです。これまた伝統音楽、とりわけ民衆の伝統音楽は世界中どこでも同じでありましょう。おもしろい、楽しい、かっこいいとなれば、その音楽がどこのものか、いつのものかは問題になりません。アイルランド音楽でも、新しい曲、新しい手法、新しい楽器をつねに吸収してきました。オールドタイムはまだこれを吸収したわけではありません。久しく会わなかった相手に久闊を叙し、接触そのものを楽しんでいるところでありましょう。
2009.05.08

おおしまゆたかのアイリッシュ・スイングを求めて 〜アイリッシュ・ミュージックにジャズを探る〜 vol.02

Sail away the ladies

Michael McGoldrick: uillean pipes
Bruce Molskey: fiddleDonal Lunny: bouzouki
from TRANSATLANTIC SESSIONS 3 Volume 2, Whirlie Records WHIRLIE CD13, 2008
recorded in Scotland, 2007

 さて、まずとりあげますのは、マイケル・マクゴールドリックのイルン・パイプ、ブルース・モルスキィのフィドル、ドーナル・ラニィのブズーキのトリオによる演奏です。それぞれは短かい曲がふたつ、メドレーで演奏されます。

 音源は BBC スコットランドが RTE すなわちアイルランド国営放送とのジョイントで製作、放映したTV用音楽番組のサントラです。PAL 方式のみですが、DVD も出ています。サントラではありますが、この番組は一流のミュージシャンたちに自由に演奏してもらい、それをただひたすら映し、録音したものですので、オムニバスとして最高水準の内容です。



DVD (PAL)
http://diskunion.net/rock/ct/detail/07C1098

 念のため申しそえておきますと、この番組は1995年に第1シリーズ、1998年に第2シリーズが製作・放映されました。「1」は《THE ORIGINAL TRANSATLANTIC SESSIONS》 として DVD が出ています。「2」は独立した2枚のCDが出ました。そして「3」は DVD とCDと両方リリース。なお「4」が今年、製作・放映予定です。それぞれのシリーズは30分番組が6本ずつからなります。

 また、PAL方式の DVD の再生については、手前味噌で恐縮ですが、小生のブログに以前書いていますので、ご一読いただければ幸いです。

http://blog.livedoor.jp/yosoys/archives/51014878.html

 では、まず楽器のことからお話しいたしましょう。

 イルン・パイプはいわゆるバグパイプの一種です。バグパイプというとスコットランドのものが一番有名なのですが、実はヨーロッパ全域から北アフリカにまで分布する楽器です。それぞれの土地で独自の発達をとげています。たとえばエストニアにはアザラシの皮でバッグを作ったものがあります。イルン・パイプは各種バグパイプ類のなかでも最も複雑に発達したものです。くわしくはおいおいお話しするとして、これはつまるところリード楽器ですから、ここでは簡単に、サックスの遠い親戚だと思ってください。ただ、その音はきわめて「アイルランド的」な性格を備えています。この楽器が鳴るとあたり一帯がそのままアイルランドになってしまう、と申しましても過言ではございますまい。

 フィドル、要はヴァイオリンです。なぜヴァイオリンではなく、フィドルと呼ばれるのかについてはこれもまた後ほど。ジャズではヴァイオリンというとかなり個性的な名前が出てきます。ステファン・グラッペリ、スタッフ・スミス、ドン・シュガーケイン・ハリス、シャンカール、ジャン=リュック・ポンティ、ディディエ・ロックウッドなどなど。一方、アイルランド音楽ではフィドルはおそらく演奏者人口が最も多い楽器、ジャズにおけるサックスの位置にあります。サックスはすでにパイプがあるではないか、ということであれば、トランペットではいかがでしょうか。

 三つめの楽器はブズーキ。複弦4コース、フラット・バックの撥弦楽器です。より広く知られた楽器では12弦ギターが近い音ですが、ブズーキはより音のキレが良い楽器です。ジャーンというよりもジャッ、ジャッ、という感じです。要するにリズム・セクションであります。ですが、ピアノやベース、ドラムスとはちがって、ソロをとることはまずありません。アルペジオやメロディを演奏するときでも、自分は前面に立たず、シンガーや他の楽器の伴奏に徹します。

 ブズーキはもちろんギリシアの楽器であります。ギリシアでは複弦3コース、ラウンド・バックがふつうです。これがアイルランドに持ちこまれたのは1960年代の終わり。バルカン半島を放浪したジョニィ・モイニハンという男が現地で手に入れたものでした。この楽器を見ておもしろいと思ったのが、モイニハンの友人でもあり、ここで演奏しているドーナル・ラニィと、もうひとり後で出てくるアンディ・アーヴァイン。この二人がアイルランド音楽に合った奏法を工夫し、楽器を改良していって、現在の形になります。今では「アイリッシュ・ブズーキ」という名称もあるくらいで、アイルランド音楽以外にも使われるようになりました。

 ブズーキという楽器にはそういう数奇な運命を背負っているところがあります。これはもとはといえばギリシアの土着楽器ではありません。これがギリシアに持ちこまれるのは1922年以降のこと。この年、おりから革命がおこってオスマン朝が倒れ、あらたに共和国となったトルコに当時のギリシア政府が戦争をしかけます。革命イランに戦争をしかけたイラクのフセイン政権と同じであります。フセイン同様、ギリシアはこの戦争にもののみごとに負けてしまうのですが、この結果、おたがいの領土にいる相手国人を交換することになります。トルコでは小アジア半島北岸、黒海沿いに多数のギリシア人が住んでいました。ブズーキはトレビゾンドと呼ばれるこの一帯に住むギリシア人が使っていたものでした。かくてブズーキはトレビゾンドからの引揚者たちとともにギリシアに渡ります。こういう移民たちが本国で歓迎されないのもまた歴史にくりかえされることであります。ですからブズーキははじめ「下賎の楽器」として、虐げられていました。

 ブズーキはさらに元をたどれば、トルコを中継点として東に伸びるシルク・ロード、南に広がるアラブ文化圏で広く使われる複弦の撥弦楽器、使われる地域や楽器のサイズによってサズやバーグラマあるいはウードなどと呼ばれる楽器を、トレビゾンドのギリシア人たちが自分たちの音楽に合わせて改造したものでした。この音楽がやがて「レンベーティカ」へと展開されてゆくわけですが、それはまた別のお話。

 アイルランドはヨーロッパの西端に位置します。ということはユーラシア大陸の西端でもあります。人間の誕生以来、この島にはあちらこちらから様々な人びとがやってきています。やってきますが、なにせどん詰まりでありますから、ここからどこかへ行くということはあまりありません。やってきた人びとやこの人たちが持ってきたものはここで堆積し、醗酵することになります。ブズーキがアイルランド音楽になくてはならないリズム・セクションになるのも、まったく不思議はないといえるでありましょう。

 同じことは楽器だけではなく、音楽にも言えます。ここの音楽にはどこか西欧の規範からははずれるところがあります。アラブ音楽との関係が濃いとの主張もあり、それには小生も同感するものですが、それだけでもなさそうです。ブズーキとの相性の良さを見ても、バルカンやいわゆる東欧の音楽とも、深いところで太くつながっているとしても、これまたまったく不思議はありません。
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