pick up disc / 注目作クロスレビュー
2009.01.15
Disc Jacket
益子博之の見解
市野元彦: Time Flows (Like Water)

BounDEE Jazz Library DDCB-13007

1. Oceanus 2. Doze Off 3. No Restrictions For Plasterer 4. Sanpoji-Ike 5. Treat 6. Hiking 7. Start 8. Remembrance 9. No Restrictions For Plasterer (closing take)

市野元彦(eg, ag, loops) 是安則克(b) 外山明(ds) 土井徳浩(cl).
recorded at Studio Dede, Tokyo on October 19-20, 2007.

ステディなリズムに飽きた結果として生まれた音楽と、
ポストモダン・ジャズの流儀の関係性とは?

リヴァーブを効かせた独特のフィンガー・ピッキングによるソフトで儚げな音色。ビバップ臭のない、シングル・ラインよりもアルペジオに近い、常にハーモニーの動きを感知させるアドリブ展開。市野元彦の演奏は、既にかみむら泰一や橋爪亮督のCDで耳にしていた。真っ先に思い浮かべたのはベン・モンダーとの親近性であり、その背景には彼の師匠に当たるミック・グッドリックへと連なる現代NYギターの系譜が見えてはくるものの、それはカート・ローゼンウィンケルからマイク・モレノやラーゲ・ルンドへと受け継がれている大きな流れとはかなり異質のものだ。

雑誌等で目にした本作に対するレヴューの多くは、概ねビル・フリゼールとの類似性を中心に語られ、付随的にポール・モティアン(ライナーで市野自身が言及しているくらいだ)やオーネット・コールマンからの影響に触れられている。確かに、フリゼール的な曲想やフレーズがまったく無いわけではないが、浮遊感のあるサウンドとループの導入だけから、フリゼールが引き合いに出されているような気がしてならない。市野の音楽が、そんな表層的な捉え方をされているのだとしたら非常に残念だ。当然ながらここには、あの、失われたアメリカに対する追憶、存在しないアメリカに対する憧憬は存在しないからだ。

筆者は以前、ディスクユニオン新宿ジャズ館で行われた本作の発売記念ライヴについて記している。本作に対する認識はほとんど変わらないものなので、少々長いが引用しておこう。

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蜃気楼のように儚げな浮遊感を漂わすギターに対し、ベースとドラマーは思い思いに寄り添ってみたり、微妙にタイミングを訛らせたり、明からさまにビートをズラしたり、あるいはまったく異なるリズム・フィギュアを叩き出したりすることによって、静かに流れる水面の表情とは対照的に、時に流れを堰き止め、淀みを作り、川底を浸蝕し、川岸を削り、時折水飛沫を上げながら、長大な時間を通じて、川の形そのものをまったく違った相貌に変えてしまうような時間の流れをイメージさせる。まさに、Time flows like water。
*

市野のギターは、ソロを取っているときでさえ、背景に退き、まるでベースやドラムが反応しあったりしなかったりするための「場」を用意しているように聞こえるときがある。言い方を変えれば、ベースやドラムの「伴奏」を務めているように聞こえるときがあるということだ。この音楽には、従来のモダン・ジャズの捉え方からすれば、そのように受け取られても仕方がないような側面があると言って間違いないだろう。

乱暴を承知で要約してしまえば、近代の純粋芸術とは、予め存在する自己を表出したり表現したりすること、即ち外部からは見ることのできない自己の内部を外部へと再現することであり、他の目的に奉仕することのない自律した人間の営みとしてのオリジナルな価値の源泉がそこに求められてきた。それは、芸術を創造する主体が神ではなく、総体としての人間であると同時に、個人=自己であるということの宣言でもあった。それに対して、ポストモダンの思想が明らかにしたことは、自己なるものとは決して予め存在しているわけではなく、既に内部に組み込まれている構造と、環境や状況との関わり合いに応じて、その都度その都度に生成してくるものに過ぎないということだった。

モダン・ジャズのソロ演奏は、例えば「言いたいことを言い切っている」というような言い方で評価される場合がある。そのような言い方が妥当であるような意味で、予め自己の内部にあるものを演奏行為を通じて再現するのではなく、その都度その都度の演奏行為を通じて自己を生成しつつ、演奏に関わる共同性(=自分たち)をも生成していくこと。また、それと同時にその演奏を聴くことを通じて、新たに生成されつつある自己(と自分たち)に触れようとすること。そして、その音楽は聴き手に対しても、聴くことを通じて演奏者と同様に音楽に向き合い、そこから生成されてくる新たな自己(や私たち)に触れるように求めてくること。それこそが、世紀の変わり目に前後して現れてきた、モダン・ジャズとは様相を異にするポストモダン・ジャズの在り方の核心のひとつなのではないだろうか。

本作に収録された楽曲の多くは、是安と外山との共演を念頭に書き下ろされたものだという。そして、『ジャズライフ』2009年1月号のインタヴューでは市野自身が、ステディなリズムで演奏することに飽きてしまった結果、本作の構想に至ったと語っている。演奏のガイドラインのひとつとなる定型的なリズムを前提としないのであれば、各々の演奏者が発する各々のリズムを聴くことと同時進行で、瞬間瞬間に自分のリズム、自己の時間を生成しつつ、演奏者間の時間の差異から生まれる「揺らぎ」を内包した共同の時間を織り成して行かねばならない。このプロセスは、上記のポストモダン・ジャズの在り方と流儀を同じくするものだ。

ライヴでのほうがレコーディングから時間を経ているためか、「揺らぎ」を内包した音楽としてのまとまりと、一見それとは相反する各人の自由度の双方が格段に増していた。だからといって本作の価値が下がるものではない。ここにはもう一つ別の要素が存在する。

80年代にドン・バイロンが登場して以降、NYでは徐々にクラリネットを演奏するミュージシャンが増えてきた。今ではクリス・スピードを筆頭に、スウィング時代への懐古趣味ではない、現代的な感覚を体現する演奏家たちがシーンの一角を着実に占めている。土井徳浩のクラリネットも彼らに通じるメロディックで印象主義的なものに聞こえる。思い思いに時間の流れを生成する3人に、土井もまた異なった時間の流れで寄り添うことで、もう一つの「揺らぎ」を上書きしているのだ。

2009年3月には遅ればせながら、本作の発売記念ツアーが用意されている。土井も加えたライヴ演奏が一体どのようなものになるのか、今から楽しみだ。


市野元彦のバイオグラフィおよびライヴ・スケジュールはこちらを参照<http://www.motohikoichino.com/page/japanese.html



参考文献:
松宮秀治「芸術崇拝の思想 ― 政教分離とヨーロッパの新しい神」(白水社)

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