bbs / 掲示板
おなまえ
Eメール
タイトル
コメント
参照先
投稿キー (投稿時 投稿キー を入力してください)
パスワード (記事メンテ用)

[530] そのクロスレビュー異議あり! 投稿者:tommyTDO 投稿日:2012/05/20(Sun) 02:55  

タイアップ広告のクロスレビューは読みたくない!!
前から起こるだろうと思っていた問題が起こってしまった。音楽評論とは・・・そんなものだったのか。何ともカッコ悪いぜ!!

次のクロスレビューは『Acoustic Fluid/橋爪亮督グループ』だそうだが、読者から見るとすでに宣伝広告にしか思えない・・・アルバムの選別からしてズレていませんか? そんなの誰でも判ることだと思いますよ。

アマゾンにcom-postメンバーの益子さんが記名で「商品の説明」まで書いていて、他のサイトでも宣伝原稿を担当しています。ライナーもそうかも? 宣伝を仕事で受けていることが明確なのに、それでクロスレビューはないでしょう?それタイアップのステマレビューとしか思えません。信頼はいらないのかな? 脇が甘過ぎ。普通やらない、かなり恥ずかしい!!

アルバムレビュー自体が宣伝広告の一環としてセットされたものです。
それ、com-postのクロスレビューを使ってやることじゃないよ。

他のみなさんが知らないで書いていたとしても、もうそれは「タイアップ広告のクロスレビュー」という事実意外の何ものでもないと思いませんか・・・内容の問題ではありません、com-post評論の根底に関わることです。知らなかったで済まない問題です。com-post同人の8人の責任。
キッパリ!!ちょっと甘いよなぁ〜。

アマゾンをチェック!! http://t.co/7b3F19u
DIW PRODUCTSをチェック!! http://t.co/jzI3QUO

*都内でライブ活動をやっている橋爪亮督さんですから、ライブハウス絡みでも個人的な知り合いが他にもいると思われます。ちょっと考えましょう。和ジャズの批評の難しさが露呈していますよ。

クロスレビューがアップされる前に伝えておきたいと思います。
ジャズ聴きたちがナットクできる判断をすべし!!


[529] クロスレビュー、明日朝にアップします。 投稿者:村井康司 投稿日:2012/05/19(Sat) 20:41  

みなさま。
今月のクロスレビューを、明日20日午前8時ぐらいにアップいたします。
今回の盤は『Acoustic Fluid/橋爪亮督グループ』です。
コンポスト同人8名のレビューを一挙掲載です。お楽しみに!


[528] 物書きは売れるモノを書け! 投稿者:tommyTDO 投稿日:2012/05/19(Sat) 06:46  

今週は、親しかった推理作家の吉村達也さんが亡くなった。60才という早過ぎる死にショックで何も考えられない状態だった。昨日、「お別れの会」に参列して思ったことは、作家はあーだこうだ言っていないで「売れるモノを書け!」ということに尽きるという現実だった。書かなければ意味がない。

先週は「音楽評論論争も面白いなぁ」と思ったが、気分に流されていることには気づいてはいた。現実に引きもどされる時間は、ちゃんとやってくるものだ。読んだこともない評論家の音楽批評姿勢に共感していても仕方がないということだろう・・・。
28年間で224冊の本を残して世を去った作家の文筆活動は、命を削って創作するという孤独な作業そのものだったことを知ると、書き手側の「評論とは何か・・・」という論争は、一見本質を突いているかに思えるが、具体的なモノは何も示せない、量も質も見えない幸福な議論にしか思えない。

作家や評論家が出版という商業媒体をとおして表現しているのだから、数字を無視してやっていける訳ではない。「分かった、分かった。能書きは分かったから売れるモノを書いてくれ」「書き手の思想、哲学は著作物で示せ」と言うしかないのがホントだと思う。
小説も評論も「売れたモノが勝ち」「売れないモノは負け」ということしかない。・・・読まれないとはじまらない。そう考えると売れるモノを書き続ける以外に示せる「正しい批評、評論のあり方」は存在しない。答えは読者側にしかないということだろう。「まぁ、売れるモノを書いてから言え」ということだろうと思う。

因に大手出版社の出版プロデューサーの話。「人気作家は、自分の手の内はゼッタイ明かさない。普段、何を考えて書いているかは最大の秘密に類する。他の人がどう書くかが気になる作家は書けなくなる・・・それが読者との正しい関係だ」ということだった。
今回の音楽評論論争はおしゃべり過ぎる評論家たちということかも?
それよりももっと俯瞰で眺めると「面白い話は、お金になる場所でやれ!」が正しい職業評論家たちへのアドバイスではないだろうか。「面白い話はネットに落ちている」だと、誰が雑誌や書籍を買おうと思うだろうか?そういうことも含め、この論争にプロ意識の欠如はあったと思う。
まぁ、音楽雑誌が売れない原因が書き手の評論家、ライターの面白くもない原稿にもあることを真剣に考えている書き手は何人いるのだろうか? ただ紙面を埋めているだけの原稿なんだよ・・・そう思えるのも多い。

・・・でも、あなたの書いたモノを雑誌や書籍で読んだことがない。書くプロならネットで能書きたれていないで著作物で示せ!!だよね。
1年に1冊も本気で書いた著作物を出せない評論家は、ホントに評論家なんだろうか? そろそろ書けない肩書きだけの評論家に疑問を持つべきだ。


[527] 宣伝です 投稿者:後藤雅洋 投稿日:2012/05/18(Fri) 19:24  

あまり知られることのなCD制作の実際を、日本を代表するジャズ・プロデューサーに聞く『いーぐる連続講演』シリーズ企画の第2回目は、エイティエイト・レーベル・プロデューサー伊藤八十八さんをお招きし、伊藤さんがプロデュースされたCD作品を聴きながら、音楽プロデュースとは何か語っていただきます。
      
● 日時 5月19日(土曜日)   15:30 〜 18:30
● 参加費 600円 + 飲食代金
● 会場 四谷 いーぐる 新宿区四谷1-8ホリナカビルB1F 03-3357-9857
● いーぐるホームページのアドレス http://jazz-eagle.com
● ご予約の必要はなく、途中入場、退場共に自由です。


伊藤八十八氏 プロフィール

日本フォノグラム在籍中「イースト・ウィンド」を設立、渡辺貞夫や日野晧正、グレイト・ジャズ・トリオ等のプロデュースを手掛ける。1978年CBS/SONYへ移籍。マイルス・デイビスやウェザー・リポート、ハービー・ハンコックを担当。2001年には、自己の名前に由来したジャズ・レーベル「エイティ・エイツ」を立ち上げ、2006年株式会社88を設立、スイング・ジャーナル誌主催ジャズ・ディスク大賞金賞、録音賞、制作企画賞やミュージック・ペン・クラブ賞など多数受賞。

<主なプロデュース作品>

● 「スピリチュアル・ネイチャー/富樫雅彦」
● 「ザ・スリー/ジョーサンプル、レイ・ブラウン、シェリー・マン」
● 「ザ・グレイト・ジャズ・トリオ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」
● 「ハウズ・エヴリシング/渡辺貞夫ライヴ・アット武道館」
● 「トランス・ブルー/日野皓正」ほか多数

http://www.jazz-eagle.com/


[526] 「音楽評論・比喩論」 について 投稿者:後藤雅洋 投稿日:2012/05/18(Fri) 10:24  

音楽評論は「原理的に」比喩でしかない、などと大風呂敷を広げてしまい、どうしたものかと若干アセっております。この問題、考えれば考えるほどむずかしい…ただ、決して思いつきで言ったわけではなく、いずれ個人ブログのthinkというコラムで詳しく展開しようと思っていた矢先に『高橋健太郎×微熱王子論争』がはじまり、準備不足ながら持論をみなさまにご説明せざるを得なくなったというのが実態です。

ですから、後日より整合性のある議論を提出いたすつもりですので、ここではその概略をご紹介ということでご容赦願います。はじめにいくつかの前提を…

まず、「原理的に比喩」云々は、八木さんとの対話の中で出て来た、いわゆる「デノテーション的音楽受容」の側面に限られるということを申し上げておきます。つまり、文脈的受容とでも言いましょうか、いわゆる「コノテーション的側面」は、当然比喩など使わなくとも、たとえばミュージシャンの背景説明なら、「だれそれの影響を受け」とか、ふつうの記述で事足りるわけです。

あ、そうですね、「デノテーション」とか「コノテーション」といった構造主義言語学に端を発する記号学的な「ジャーゴン」は、わかりにくいし誤解の余地もあるので、今後は前者をとりあえず「音楽そのもの」、後者を「音楽にまつわる背景事情」とでも言い直すことにいたします(この「言い換え」自体、より精密に検討の必要はあるのですが、とりあえずということで…)。

また、私の書き方が舌足らずだったので、八木さんは「原理的なやりかたで比喩を用いる」と思われたようですが、そうではなくて、音楽そのものから受け取った感情、情動、驚き、喜び、そして嫌悪といったさまざまな「感覚的側面」を記述する方法は「原理的に言って」比喩を使うしかないのではなかろうか、といった意味です。その理由については、いずれthinkで展開したいと思っているのでしばしお待ちいただければと思います。とりあえずの「感じ」で言えば、そこには「感覚と言語の複雑怪奇な関係」が潜んでいそうな気配がいたします。

しかし、そういった前提で音楽評論をとらえること自体が、鈴木さんのおっしゃるように「負けたような気がする」ってのもなんとなくわかります。まあ、何か良い方法があれば良いのですが…というか、ひとつ間違えれば文学やエッセーになりかねない(トゥイッターにもそういうご意見は散見されましたね)要素が音楽評論にはあることが、現在、たとえば東浩紀氏周辺から「音楽評論の不振」をささやかれる理由なのかな、などとも考えております。余談ながら、モーリス・メルロ=ポンティのセザンヌ論やジル・ドゥルーズの映画論(読んだわけではありませんが)などはあっても、事物の本質を論じるはずの哲学者たちもまた、音楽を鬼門としているような印象は受けますね。

また、鈴木さんも触れておられましたが、音楽のある部分を指摘する時もまた、比喩を使わざるを得ない場面が多発すると思うのです。文学なら当該箇所を引用するとか、美術なら「モナリザの背景の色合いは」とか、それなりに伝達可能な「描写」ができますが、音楽、とくにジャズの場合は、その部分を譜面に起こしても「聴き手が感じ取った部分」が、たとえば音色の微妙な綾だったりした場合はあまり意味が無い。

最後に高橋氏と微熱氏のやりとり、詳細に検討すれば両者が両立し得ないことも無いような気がいたします。ちょっと無責任なことを言ってしまえば、ある時点から、お二方とも「わかった上で」ある立場を標榜しているような…

とは言え、こうした「騒動」が多くの音楽ファンに「音楽評論とは?」という問題を考えるきっかけを与えたということは、非常に有意義だったのではないでしょうか? 直近の柳樂さんの「まとめ新情報」をつらつら眺め、その感を深くいたしました。

なんかまとまりの無い文章になってしまいましたが、それは「準備不足」ゆえのこととご容赦ください。とは言え、みなさまがたの鋭いツッコミは、私の「音楽評論比喩論」の練り上げに役立つはずですので、今後もご遠慮なく。



[525] "音楽批評"論争がもたらしたあなたのわたしの音楽批評 投稿者:柳樂光隆 投稿日:2012/05/18(Fri) 00:33  

予想通り僕がまとめたものより更に広範に集めて綺麗に並び替えたまとめが出たので一応張っておきます。

"音楽批評"論争がもたらしたあなたのわたしの音楽批評
        ↓

http://togetter.com/li/302228


[524] 畏れ多いというか身に余る光栄というか 投稿者:鈴木茂 投稿日:2012/05/17(Thu) 21:02  

ビジスタニュースの上林さんから教えられ、久しぶりにお邪魔してみたら、あらびっくりです。後藤さん、村井さんにはまず御礼を申しあげます。でもそんなにお誉めいただくようなものでは……僕としては音楽の批評を考える上で、ごく基本的原理的な前提を、教養ないので日常的な言葉でまとめてみたつもりでした。

ですので、ここでの一連の議論にもとても刺激されました。後藤さん、「原理的に比喩しか」ありませんか、やはり。そう結論づけてしまうとなんだか負けたような気がするのですが^^;。

http://www.artespublishing.com


[523] 名文です 投稿者:後藤雅洋 投稿日:2012/05/17(Thu) 18:35  

村井編集長、ありがとうございます。それにしても名文ですよね。音楽評論にまつわる本質的問題を、簡潔かつ明瞭に指摘している。すべてのジャズ評論家、そして音楽評論を目指そうという方々に読んでいただきたいですね。こういう編集者がいるから、ものを書くのはコワい。ブルブル...


[522] Re:[518] 八木さんへのご返事 投稿者:八木皓平 投稿日:2012/05/17(Thu) 18:34  

後藤様
返答いただきありがとうございます。

短い文章で論旨をわかりやすく提示したいがために、全体的にかなり図式化/単純化をしてしまった(読む人が読めば怒られるかも・・)僕の文章の意図を極めて正確にくみ取っていただけて非常にうれしかったです。


>>そんな中では、いわゆる「記号論的」な著書より、晩年の『明るい部屋─写真についての覚書』(みすず書房)に彼の最良の部分を見ましたね。この著書の記述には心を打たれました。

僕もバルトで一番好きな本は『明るい部屋─写真についての覚書』です。彼の母親に対するまなざしが非常に美しい形で綴られていて、一つのエッセイのようなものとして僕は読みました。いつかあの本の美しさについて後藤さんとお話したいです(笑)


>> この件についても、ほぼ同意いたしますが、個人的興味関心はいわゆる「デノテーション的」音楽受容であり、音楽社会学的領域とも重なると考えられる「コノテーション的受容」は、他の方がおやりになればよろしいのでは…というのが私の基本スタンスです。

僕は音楽と同じくらい文学が好きな人間ですので、やはり「コノテーション」の部分も気になってしまい、そちらもやってゆきたいなと思っております(そのためにはまだまだ知識が足りないのですが)。それはやはりポップミュージックは「歌詞」=「言葉」が重要なファクターとなる部分がございますし、「言葉」と「音」のバランスの問題もあり、より「デノテーション」と「コノテーション」の構造が多層化されてゆくからで、音楽を聴取する場合、これらの絡み合いが複雑化するからです。

>> ちなみに、今話題となっている高橋健太郎さんと微熱王子さんの「論争」、しいて言えば、高橋さんがデノテーション的音楽受容、微熱王子さんはコノテーション的側面の重視と言えるでしょうか。

そんな僕の立場からすると、もし後藤さんによるこの分け方が正確だとしたら、この両者の対話がうまくいかなかったことはやはり悲しい事実のように思われます。やはり「デノテーション」と「コノテーション」は対立すべきものではないと思っておりますので。また、これは話が少しずれますが、僕は「結論」や「相互理解」を導くことがなくても「議論」や「対話」は必要だと考えています。「対話」が続いているうちは音楽について考えている人々がいなくなることはないからです。また、相反する考えを持つ人間たちが交差する瞬間が文化にとって最も面白い瞬間であると考えるからです。今後も、com-postにはそういう場として機能していただきたいです(これは以前にもここで申しあげました)

>>他の方々はどうお考えか存じ上げませんが、私は「原理的」に「比喩」を用いるしかないと考えております。

これは非常に興味深いお答えですので掘り下げてもよろしいでしょうか。後藤さんがおっしゃっている「比喩」を「原理的」に用いるとは例えばどういった意味合いでしょうか。


>> 最後に付け加えれば、八木さんは音楽批評の原理的問題を実に的確に理解しておられますね。目指す方向は私とまったく同じです。

ありがとうございます、このようなお言葉、僕にはもったいないです。そして僕は後藤さんの御著書から少なからず影響を受けておりますので、そうなるのは自然かと思われます(笑)

https://twitter.com/lovesydbarrett/


[521] 鈴木茂さんの記事 投稿者:村井康司 投稿日:2012/05/17(Thu) 10:00  

後藤さんが言及されていた、鈴木茂さんの「ビジスタニュース」掲載記事はこれですね。

http://bisista.blogto.jp/archives/1328894.html

とても分かりやすくて的確な、いい文ですね。


[520] 店頭POPの効用の件など 投稿者:後藤雅洋 投稿日:2012/05/17(Thu) 08:18  

柳樂さん、レコード・ショップ店頭POPの効用の件、私も実感しました。ある時期、ユニオンなどでCDを購入する際、まずは店員さんのお書きになったPOPを読み、また、直接店員さんのお話を参考にしてアルバムを購入したものです。

というか、大昔ヨーロッパ盤などの情報がほとんど無かった時代、私は渋谷の「世界一小さなレコード・ショップ」を標榜する『JARO』の柴崎さんの助言でアルバムを購入し、それがずいぶんと役に立ったことを実感しております。

ジャズ評論家の手前にジャズ喫茶があり、その手前にレコード店員さんが控えているという時代が確実にあったのです。この話、音楽評論と無縁ではないと思います。


[519] 音楽評論における『比喩』のはたらきについて 投稿者:後藤雅洋 投稿日:2012/05/17(Thu) 07:51  

音楽評論における『比喩』の重要性について、アルテス・パブリッシングの鈴木茂さんが『音楽を聴くことと語ること』という実に的確な記事を『ビジスタニュース』というサイトにお書きになっているので、ぜひこれをお読みいただきたいと思います。

私は八田さん経由で他の方の記事を参照する際、この論考を発見し、さすが名編集者と改めて鈴木さんの慧眼に感服いたしました。

と言っておいて、「自分もおんなじことを考えていた」って言うのは、なんかずーずーしい気もしますが、でも、まったく鈴木さんと同じことを私も考えていたのです。


●当該記事の貼り付け方がよくわからないので、後日八田さんにお伺いして、すぐに読めるように計らいます。みなさま、それまでしばしお待ちください。


[518] 八木さんへのご返事 投稿者:後藤雅洋 投稿日:2012/05/16(Wed) 08:44  

八木さん、think.37読んでいただきありがとうございます。ロラン・バルトの議論、私も記号学が流行ったころ、『零度のエクリチュール』(みすず書房)、『神話作用』(現代思潮社)など、ソシュール言語学の影響を受けた著書をパラパラと読んだ記憶があります。そんな中では、いわゆる「記号論的」な著書より、晩年の『明るい部屋─写真についての覚書』(みすず書房)に彼の最良の部分を見ましたね。この著書の記述には心を打たれました。

というか、個人的には記号論という視点、確かにある種の新しさは感じましたが、個人的な関心領域とはあまり重ならない。モードについての議論など、確かにそうかもしれないけど、それがどうした的な気分は若干ありましたね。それはさておき、


>>「純粋に音楽的に嫌な感じがする」がデノテーション(的な受容)で、「特定の思想的背景から嫌悪感を催す」がコノテーション(的な受容)でしょうか。

おっしゃるとおりです。また、


>>ここに「批評行為」というファクターを導入したとき、我々は「デノテーション」「コノテーション」のどちらを重視して語ればよいのでしょうか。

僕はやはり両方とも重要ではないかと思うのです。

この件についても、ほぼ同意いたしますが、個人的興味関心はいわゆる「デノテーション的」音楽受容であり、音楽社会学的領域とも重なると考えられる「コノテーション的受容」は、他の方がおやりになればよろしいのでは…というのが私の基本スタンスです。

ちなみに、今話題となっている高橋健太郎さんと微熱王子さんの「論争」、しいて言えば、高橋さんがデノテーション的音楽受容、微熱王子さんはコノテーション的側面の重視と言えるでしょうか。


>>しかし、ここで問題(個人的な問題かもしれませんが)がございまして、僕は音楽については特に「デノテーション」について語るのが非常に難しいような気がいたします。

まさにこの部分が、私が「同じことをお考えのようですね」と言ったところで、「個人的な問題」どころか音楽批評における原理的困難なのです。


>>たとえば一つの曲の中でここだ!ここが素晴らしいんだ!という瞬間があります。批評、評論などを書くとき、そこをぜひ伝えたい。しかし、それをどうやって伝えればよいのでしょう。

まったく同じことを私は日々考えております。


>>映画批評では、蓮實重彦が「コノテーション」を批評することが多かった当時の映画批評シーン(これはどこまで本当かはわかりませんが)に真っ向から反対して彼は徹底して「デノテーション」を批評しようとした。
「このシーンが素晴らしいんだ」と徹底的に描写したのです。

おっしゃるとおりですね。私も蓮実氏の映画批評には強く影響されました。それは映画そのものの見方の更新であると同時に、自分がかかわるジャズ批評において、どのようにして「音そのもの」を記述するかという根本命題となったのです。


>>しかし、音楽批評ではどうでしょう。ここが良いと指をさすことができません。一時停止をすると音は鳴りやんでしまいます。その快感を保存することができるのは頭の中だけです。

まさにここが音楽評論における原理的困難さなのです。八木さんは問題の本質を掴んでおられます。


>>後藤さん、そしてジャズ批評に携わっている方々はその問題についてどのように立ち向かっているのでしょうか、ぜひ教えていただきたいです。僕も音楽批評に携わっている身ではございますが、そのことについては本当にいつも頭を悩まされます。

他の方々はどうお考えか存じ上げませんが、私は「原理的」に「比喩」を用いるしかないと考えております。

最後に付け加えれば、八木さんは音楽批評の原理的問題を実に的確に理解しておられますね。目指す方向は私とまったく同じです。



[517] Re:[499] 気になるひとこと 投稿者:柳樂光隆 投稿日:2012/05/16(Wed) 00:51  

> >>そこで、批評家の役割について、あらためて考えてみる。同時代の無数の作品の中から、これはクラシックとなる、というものを選び出す力を持っているのが、優れた批評家ではないか。

これに関してはの雑感。
90年代以降は評論家にも素晴らしい仕事がたくさんありました。ジャズに関してはどうかわかりませんが、僕が見てきたところでは新しい音楽を刺激的なコンテクストで提示されていましたし、、過去の音楽の再発見も鮮やかに行われていました。音楽評論の力を実感できた時代でありました。彼らが選び出したクラシックも多いでしょう。

と同時にこの時代、多くのクラシックスを選び出したのはDJでした。
これについては説明する必要は無いでしょう。

DJと並んでもう一つ重要なことがあったと僕は思います。
それはレコードショップのバイヤー(による棚作り=セレクトと彼らが書くPOP)によって行われたものもある種の批評と変わらない力を持っていたことが実感できる人も少なくないかもしれないなと思います。山のようにリリースされるCDを煽って売っていたわけですから、ピンポイントでクラシックスを選び出す行為とはまた別ですが、クラシックスを予見する人としても期待されていた面もあったかと。タワレコの高見さん、松永さん(現 DJ コンピューマ)なんて名物バイヤーの存在を思い浮かべてもらうとわかりやすいですね。WAVEの山辺さん(現ロスアプソン)なんて存在もありますね。

「最も面白かった媒体はタワーレコード発行のバウンス誌である」とそんなことを言う人もいますし、それがあながち間違ってるとも思えない。古くはWAVE、そしてタワーレコード、HMV。そんな時代だったなと。
POPと共に平台や試聴機の棚に並べて行くことによる批評。DJによる選曲そのものが批評であるみたいな話ですが、浴びるように情報に晒されて来た者達はそこにリアリティを求めたんですよね。そして実際に影響力を持っていました。

90年代はDJによる選曲、レコードショップのセレクトとPOPが席巻した時代でした。
(と同時にその両方を組み合わせたようなディスクガイド的な音楽読み物も増えましたね)
そして、それがその後の音楽を語ることそのものに影響を与えた気もします。
その後の書き手に「紹介」というスタンスが多いとすればそういうこともあるのかなと。

とは言え、今ではそんな力はレコードショップにはありませんし、そこまでの影響力があるDJもいないでしょう。
僕が客として見ていた時代の話ではあります。

例の批評話とずれた戯言で申し訳ない。


[516] 「価値」は、多様なことばの交差の中からしか生まれない 投稿者:後藤雅洋 投稿日:2012/05/15(Tue) 08:27  

柳樂さんの「まとめ」、パラパラ見ていたら昨日購入したばかりの『音楽の本の本』(株式会社カンゼン刊)が話題になってましたね。あれ、当店の大昔のスタッフ、工藤冬里さんが一部原稿書いているんで思わず買ってしまいました。冬里さんではありませんが「音の聞き方が変わった本」に『論理哲学論考』(ヴィトゲンシュタイン)を挙げている方がいたりして、目が点になりました。

それはさておき、知らないんでちょっと失礼なこと言っちゃうと、健太郎さんて頭いいんですねえ。音楽評論家ではズバ抜けておられる。他の方々(アルテス鈴木さんも登場してましたね)の発言も非常に刺激的で面白い。

ただ、健太郎さんの発言ではありませんが、批評を含めた「ことば」の役割を軽視(というか謙遜なのかな)している方もおられるようですが、私の考えは違います。音楽の価値判断を含めた文化現象全般は「多様なことばの交差」の中から「価値」が生まれるわけで、またそこ以外からは価値など生成しようが無いという原理的な部分にまで突っ込んだ意見があまりみられない。

要するに共同主観性という概念が欠落しているようにも思えるのです。この話は難しいので、詳細は後日ということで...



[515] 四十の魂 ユニコーンへの道 投稿者:tommyTDO 投稿日:2012/05/15(Tue) 02:28  

【宣伝広告】
久しぶりにお仕事の宣伝をさせてください。
本日発売(5/15)の本の告知をします。

『四十の魂 ユニコーンへの道』福井晴敏・著
アスキー・メディアワークス/定価:924 円
http://t.co/bl7EpIr
*オビ原稿がスゴク面白いので是非見てね! 書店ヘ急げ。

内容:
『機動戦士ガンダムUC』の生みの親、福井晴敏が綴るロボアニメ、愛のエッセイ!! ガンダム好き必読!!『電撃ホビーマガジン』連載を単行本化。

アニメやガンプラ、フィギュアも含め40代の拘り、オタク体質を知るのにすごくいい本です。40代のジャズへの拘りも分かる気がします(笑)。
装丁とデザインをやっていますのでよろしく!!書店で手に取ってみてください。連載データが4〜5年前のものなので、再チェック。福井さんの拘りの句読点、改行、禁則処理の戦いがタイヘンでしたが(作家は電算写植が好きなんですよね)、ゲラでの組版コミュニケーションが楽しい一冊でした。
オイラはガンダム好きでもないし、ガンプラやフィギュアにも疎いのですが、まぁマニアな気持ちはよく分かります。ジャズやオーディオも同じなんですよね(笑)。

*クレジットを見てもオイラの名前は入れてありませんのでゴメンナサイ!探さないでね(笑)。日常の作業に自分のクレジットは入れません。オイラは、デザイナーがいちいちクレジット入れるのはハズカシ〜と思っているので・・・仕事ですから。あっ、TDOとは入れてある(笑)。


[514] 「キケバン国」異聞 投稿者:後藤雅洋 投稿日:2012/05/15(Tue) 01:41  

たなかさんが「古いなー」って言ったから、お爺さんがもっと古いこと言っちゃう。

あの歌はそのあと「轟き渡るメーデーの〜」と続く、いわゆる「メーデー歌」で、スタンスとしては左。ところがあれは一種の替え歌で、ぼくが幼稚園のころ、おばあちゃんはあの曲を 

♪万朶の桜か襟の色 花は隅田に嵐吹く 大和男子と生まれなば 散兵戔の花と散れ♪

 と、トンでもない歌詞で歌っていました。しかし、こちらの方がむしろオリジナルで、要するに軍歌。八木さんのご質問に絡めれば、この曲想の「コノテーション」の圧倒的な距離感! まさに音楽が思想を伝えるなんてのがお笑い種です。


八木さん、今日は少々アルコールが入っているので、明日以降、もう少しキチンとしたお答えをいたします。とりあえず申し上げておけば、おっしゃることは良くわかるし、おそらく私と同じことを八木さんはお考えなのではないでしょうか。



[513] Re:[498] [497] ツイッター上で話題です『激論!音楽批評とは? -高橋健太郎 vs. 微熱王子』 投稿者:柳樂光隆 投稿日:2012/05/15(Tue) 00:32  

この高橋さん、微熱さんのお二人のやり取りは終わりましたが、
ツイッター上では各所で批評についての発言が止みません。
とりあえず僕がざっくりまとめたものを置いておきます。

また誰かが良いまとめをそてくれると思うので、
動向を追いつつ、良いまとめを見つけたらここで紹介します。

とりあえずは以下のリンクでどうぞ
    ↓

http://togetter.com/li/303665


[512] ライターのイメージ 投稿者:tommyTDO 投稿日:2012/05/14(Mon) 19:04  

村井さん。

>「責任回避みたいで」というのは、「僕は音楽を評論・批評するん
>じゃなくて、ただすばらしい音楽をみんなに紹介したいだけなのです」
>というスタンスが、なんか責任回避っぽくて好きじゃない、
>ということかな。

そういう意味だったんですね・・・それ覚悟があってスゴクいいです。

まぁ、ライター業は「仕事」って感じ・・・ギャラが大切!!(笑)
優秀なライターは「職人」って感じで、いい仕事をしてくれます。
昔のライターのイメージと今のライターのイメージはかなり違う
ような気がしますが、自己申請型の実績評価職業なのは同じですね。

オイラの場合はバブルの頃のマガジン●ウスのファッション誌や情報
誌のタイアップ広告を仕切っていたの外部ライターのイメージ(笑)。

音楽やコンピュータ関連のライターは「専門オタク」な感じはしますね。



[511] ライターという言葉 投稿者:村井康司 投稿日:2012/05/14(Mon) 18:11  

tommyさん。
いろんなジャンルの中で、仕事が綿密で文章がうまくて、という尊敬すべき「ライター」もいっぱいいらっしゃいますよね。

「責任回避みたいで」というのは、「僕は音楽を評論・批評するんじゃなくて、ただすばらしい音楽をみんなに紹介したいだけなのです」というスタンスが、なんか責任回避っぽくて好きじゃない、ということかな。

たとえば油井正一、中村とうよう、相倉久人、平岡正明のことを「ライター」と呼ぶ人はほとんどいないでしょうし、本人たちもそう思ってはいなかったんじゃないのかな、と思います。
世界史・文化史の中でのジャズやポピュラー音楽を把握したい、という欲望を持ち、それに果敢に挑戦した彼らは、やはり「評論家」「批評家」というべきなのでは、と思うのです。

身の程知らずなんですが、せめて目標は高く持とうということであります。


[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27]
処理  記事No  パスワード
- LightBoard -